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流して

レディオヘッドを聴いている。
高校生の時、ヘイル・トゥ・ザ・シーフを聴いた時は、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドやテレビジョンと比べると二流バンドだな、なんて生意気なことを思っていた。
それも、正しい反応かもしれないけど、今改めて聴くと、やっぱりいいなとも思う。

それよりも、十代の僕の心を捉えたのは、ウィル・オールダム。
ちょうどマスターアンドエブリワンが出て、来日が決まっていた頃。
受験のために東京に行き、渋谷のタワーレコードで視聴し、衝撃を受けた。
そして、岡山のライブハウスに来ると知った!
友達にも連絡して、Moguraというライブハウスでライブを観た。
とても興奮したライブ、美しさと憂鬱が高い純度であり、その頃飲み始めていたウイスキーみたいな印象を受けた。
ライブ後、友達とコマンドに行き、ずっとニヤニヤしていて気持ち悪がられたことを覚えている。
今でも、その時のライブが生涯一良かったライブだ。

何だろう、音楽の事を考えると、何もかも気にならなくなる。
今日の憂鬱も、明日への不安も。
そんなに悲観することもないのかも知れない。

何かが起きて、失って、まだ生きている。
フィービー・ブリジャーズが、いつも憂鬱と歌っていた。
僕もそう、十代の頃は頭の後ろに痛みがあり、いつもこれでいいのかと自問自答する自分がいた。
三十歳を越えて、痛みはなくなったけど、憂鬱は相変わらず付き纏う。

明日の僕に繋がる言葉を、今日は見つけることができただろうか。
ただ、混乱が少し解けてきた気はする。
必要なのは、何だろうか。
あと少し時間が欲しいと、パレスミュージックのロストブルースを聴きながら思っていたが、とっくに時間は過ぎている。
連想ゲームを人生と誤解して、ここまで進んできた。
たまに出会う、強い共感に困惑する。
それでも、時間は流れる。止める事はできない。
パレスミュージックのエンドオブトラベリングが流れて、何だか有耶無耶になる。
そう、毎日、有耶無耶にして過ごしている。
最近太った、それは、その全てだ。

先日、高校生の頃の写真をみた。
何だか、色褪せてなかった。
今、僕の目は、何に焦点を合わしているのだろうか。
眼の前のことが受け入れられない苛立ちと、どうしようもない不安。
混乱してきた。
何も正しいわけではないけど、もったいない事をしていると感じた。

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