ブルーインパルスと東京アラートと「想像力」
これからの時代、「想像力」がとても大事になると思っています。
ここで言う「想像力」とは、ある事象に対して人々がどう感じ、どうリアクションするか?とか、その事象によって世界がどう変わるか?を具体的に思い浮かべるチカラ。不確実な変数が増え、未来が予測困難になっていく中で、分からないなりに取得しうる情報を集め、少ない情報の中でもどんなことが起こりそうかを想像できるチカラが問われそうです。
ブルーインパルスの背景にある想像力
この想像力の観点で、ここ最近の中で私が秀逸だなと感じたアイデアの一つが、ブルーインパルスの東京飛行です。今年の5月29日、コロナ禍での医療従事者への感謝を表すため、航空自衛隊のアクロバットチーム・ブルーインパルスが東京上空を飛行しました。
当時、コロナの状況も少しずつ落ち着きつつあり、東京在住の私はブルーインパルスを見るため、子供を連れて家の外へ出ました。外へ出てみると同じように空を見上げてブルーインパルスを探す人たちが何人かいました。ブルーインパルスが上空を通ったときその場にいた人たちから歓声が上がり、見終えた後には知らない者同志ではあるものの顔を見合わせて、ちょっとした一体感のようなものが生まれました。顔を上げて空を見上げるという所作自体にも前向きな感情を生む効果があったと思います。さらにその日の午後、Twitterのタイムラインにはブルーインパルスを撮影した青空の写真が並び、それを見てまた清々しい気分になったことを覚えています。
今思うとブルーインパルスのアイデアを考えた人は、皆が一緒に空を見上げる様子も、SNSに青空の画像が並ぶ様子も始めから想像できていたのではないかという気がします。そう感じさせるくらい秀逸でよくデザインされたアイデアでした。
想像力の足りなかった東京アラート
そしてブルーインパルスと対極的だったのが、東京アラートです。都内の一日の新規感染者数が増加傾向にあるということで、6月2日に都庁とレインボーブリッジが赤く点灯されました。そもそもその運用についてもツッコミどころが盛り沢山の東京アラートですが、「想像力」の観点でもBad Caseのサンプルと言えそうです。
当時、コロナによる活動自粛から少しずつ日常を取り戻そうとする状況で、都民の多くはコロナによる危機感や緊張感は持ちつつも、ようやく前向きなムードを感じ始めているところでした。そんな中で発動された東京アラートは、負の感情を共有し、増幅させる効果しかなかった気がします。すでにそれまでも都民の社会活動や経済活動を根拠のないまま制限し続けてきた上に、東京アラートで「またか…」というガッカリ感だけが残りました。
結局のところ、東京アラートという打ち手に対してみんながどう感じるか?という想像力が欠如していたのだと思います。起こったタイミングも近くてアイデアとしても一見よく似ているようにも見えるブルーインパルスと東京アラートですが、前提にある想像力の有無によってその印象は真逆のものになりました。
コロナ以降の世界ではこの「想像力」がますます重要になりそうです。コロナパンデミックの状況がまさにそうであったように、明確に予測できる未来や、単一の正解のようなものはなくなっていきます。そして様々な場面においてこれまでのセオリーやプロセスは見直されるようになり、多くの活動がこれまでとは違う「新しく、初めての」活動になります。そのような状況で重要になるのが「想像力」です。初めて直面する予測困難な状況下でも起こりそうな未来(たとえそれが正解ではないとしても)をイメージできるチカラが大きな競争力になるはずです。