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「デザイン思考」論についての違和感

私は、デザイン思考について特別に好意的でもないですし、かといって嫌な印象も持っていません。ただ近頃の「デザイン思考」論にはどこかモヤモヤした違和感のようなものがあります。

つい先日も下記のような記事が話題になっていました。デザイン思考という理論・手法に対する考察は、とかくバズる気がします。「デザイン思考を導入した(つもりだ)が、結果が出ない」といった実感が多くの組織や人々に広がっているからかもしれません。

上記の記事についても、全体的には同意するところがほとんどです。ただこの手の記事を見るたびに感じる違和感があり、そのモヤモヤを整理してみることにしました。

デザイン思考の定義や認識が違う

一つはデザイン思考とは何かという定義や認識についてです。デザイン思考の考察に対する肯定意見も反対意見も上記記事のような一部肯定意見も、いずれもその前提になるデザイン思考の定義や認識がそもそも異なります。例えば以下のような定義。

デザイン思考は─
・顧客理解から課題を見つけていく
・批評プロセスがない
・ポストイットを使ってワークショップをやる
・5ステップをシステマティックに進めていく
…などなど。

確かにデザイン思考の方法論の一例として挙げられるものではありますが、個人的には「ん?」と感じてしまいます。それがデザイン思考の必須定義だとされてましたっけ??と。例えば私は「デザイン思考」と言うときに、そこには批評プロセスだってあると思っているし、5ステップでワークショップをやることがデザイン思考だとは思ってないし、課題は顧客ではなく自己の認識の中にあると思っています。

繰り返しますが決して私はデザイン思考に対して好意的な感情があるわけではありません。ただそもそもデザイン思考の定義自体が共有されていない中で、その欠陥を指摘することには違和感を感じるということです。決して仲が良いわけではない友達が理不尽にイジメにあっているのを見ているような気分です。

デザイン思考に対するいずれの主張も「こうあるべき」というビジョンや方法論は賛成するところが多く、私もそうであるべきだと賛成します。ただ、そもそもデザイン思考の定義自体が共有されていないのだから、デザイン思考を持ち出してその欠陥を指摘する形で自らのセオリーを主張するのではなく、自分が良いと思うセオリーだけを真摯に伝えればいいのにというのが私の気持ちです。

「理論」へのリスペクト

もう一つの違和感は『理論』というものに対する態度についてです。デザイン思考に限らず、経営学には様々なビジネス理論があります。それらの理論の前提には「一部の天才によって生み出されたベストプラクティスを、その他大勢の凡人たちも再現可能な体系的なアプローチにしていこう」という考え方があります。優れた活動をほんの一部の天才にしかできないものではなく、天才ほどではないにしても、できるだけみんなが容易に効率的にできるものにして、社会全体に生み出される価値の総量を増やそうという考え方です。

「理論」の背景にあるこの基本思想はすごく尊いものだと思いますし、このような尊い想いから生まれた「理論」なのだから、それを使う側もきちんとリスペクトを持って使うべきだと思うのです。多くの人々が汎用的に使えるよう、シンプルで分かりやすくしようとデザインされたものが「理論」に対して、「場合によってはこういう欠陥がある」とか「こんなケースでは効果的に機能しない」とか言うこと自体が野暮だと思います。理論を使う側がやるべきことは、理論を批判することではなく、先人が作り上げてくれた「理論」に対してリスペクトを持って向き合い、その「理論」がうまく機能するよう努力することであり、それが使い手の責任だと思います。


何度も繰り返しますが私は決して「デザイン思考・大好き人間」ではありません。ただその思想や作法にはとても価値のある考え方が多く含まれていると思っていますし、こういった理論を生み出してくれた先人には感謝の気持ちでいっぱいです。だからこそこの理論がより多くの人たちに有益に活用されるような良い議論があってほしいと思っています。

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