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クリニカルイナーシャは本当に正義か

Clinical Inertiaは「臨床的な惰性」と訳されます。Clinicalは「臨床の」、Inertiaは「怠惰、惰性」という意味です。臨床的な惰性(Clinical Inertia)とは、治療目標が達成されていないにもかかわらず、治療が適切に強化されていないことと定義されています。

分かりやすい事例として挙げられるのが糖尿病の治療です。

●インスリン注射をすべきなのに注射を嫌がる患者を説得できずにインスリン治療が開始できない ●患者さんから内服薬を拒否されて生活習慣の改善だけでそのまま経過を見ている ●食事療法、運動療法の指導をするがなかなかやってくれない …といったケースなどがあてはまります。確かに糖尿病の診療においてこのようなケースがよくあるのは事実のようです。

しかしながら、糖尿病診療の実態を調べてみると、そのことが一概に問題とは言えない可能性も見えてきます。例えば糖尿病の治療アプローチである食事療法ですが、患者の中には美味しいものを食べることが一番の生きがいで「食べられないなら死んだ方がマシだ」と考える人もたくさんいます。そんな彼らに対して適切な治療ではないからと、厳格な食事制限を課すことは正義なのでしょうか。

糖尿病の診療は医師にとっても非常に複雑です。処方や処置だけでなく患者の生活習慣の指導にも踏み込む必要があります。中には病気と向き合うのが嫌になって病院に来なくなる患者もたくさんいます。多くの医師は「医学的に適切な治療をしていない」のではなく、患者一人一人の事情に配慮した上で、それぞれの患者にとってより良い治療を模索し、選択しようとしているのです。

もちろん実際に惰性や怠惰によって治療が不十分なケースもあるかもしれません。ただしそれが全てではなということです。医学的に正しいとされる治療が必ずしも正解とは限りません。正しさは患者の価値観や生き方によって様々なのです。

昨今では多くの医療系企業が、患者に寄り添うことを指針に掲げ、取り組むようになりました。しかしながら実はそれは患者にとって優しくないことかもしれません。また患者だけでなく、ときには医師にも寄り添うことが必要かもしれません。ヘルスケア業界にも本当の意味での「顧客中心」の考え方が期待されていると言えそうです。

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