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小説を読み始めて世界が広がった話。

「小説」のハードルは高い。

自然と意識せずに「小説」を読んでいたという人には分からないかもしれないが、「小説」というハードルはかなり高い。

特に私のように本を読んだ記憶はほとんどない、中学以降は「漫画」のみという人間にとっては大きな大きな「壁」である。

いや、壁で「あった」。

いや、まだ語弊がある。

壁だと「思っていた」。

その"勘違い"は30年以上続いた。

しかし、なぜか30歳を過ぎて、突然「読書」に目覚めた。

ただ、ここで言う読書というのは、いわゆる活字の本を読むということだ。主にビジネス書やノンフィクションなど。

恐らくは仕事に悩み、人生に悩み、何かに助けを求め、たまたま行き着いたのが「読書」であった。

始めは、読んでは疲れ、読んでは疲れ、白いはずの紙が茶色に見える程に、苦痛だった。

読んでも読んでも右下に書かれたページ数は増えていかない。

が、何冊か苦労して読み終えると、堰を切ったように本を読み始めた。

「読書の壁」の崩壊である。

壊れる時は一瞬だった。一度壊れた壁は簡単には戻らない。時間があれば読書をするようになった。

しかし。

「読書の壁」の先に、もう一つ「壁」が現れたのだ。

それが「小説の壁」。

今となっては不思議に思うのだが「小説は読めないもの」。自分の中でそう定義されていた。

こういうことは多い。

「私にはできない。」
「それは特別だから。」
「そんな才能ない。」

勝手に決めつけ、勝手に諦める。

「小説」もその1つだった。

だが、本を読み始めた頃、妻に小説を勧められた。

「言葉が綺麗だから、最初の20ページだけでも読んでみてほしい。」

勧められたのはこの本。

とりあえず20ページだけでも読むか、と読み始めた。すると、どんどん続きが気になった。

最初の20ページと言われたが、気づいたら50ページほど読み進めていた。

今までの、あの「小説の壁」は一体何だったのかと、自分でも驚くほど、あっさりと読み進めていた。

昔からドラマや映画は好きな方だった。アニメも漫画も好きだ。

大学生の時間を持て余していた頃には、全連続ドラマの1話を録画し、1つずつ観ていき、観るドラマを選別していたし、DVDを借りて映画もいくつも観た。

「新海誠」や「細田守」作品と出会ったのもこの頃だった。

映画やドラマはたくさん見た。漫画もたくさん読んだ。

でも何故か「小説」は読まなかった。

人間の思い込みというか「固定概念」は恐ろしい。

いま思い返すと、「小説の壁」を認識しようともしていなかった。目を向けることもしなかった。

なぜだか分からないが勝手に「小説は読めないもの」と決めつけていたせいで、その存在を自分の中から消していたらしい。

ただ、その「壁」は完全に崩壊した。

しかも驚くほどあっさりと。

小説が読めるようになって世界が広がった。本屋に行くと一生で読みきれないほどの本がある。今まで漫画を買う場所だった本屋が、違う世界に見えた。

読んでも読んでも読みきれないほど本を目の前にすると嬉しくて堪らない。子供の頃に遊園地に行った時の、あのワクワク感を大人になっても感じられるとは思いもしなかった。

固定概念は恐ろしい。
勝手に思い込み、勝手に諦める。

恐らく他にも「壁」を認識すらできていない事がたくさんあるのだと思う。

その「壁」をひとつずつ崩壊させ、人生を豊かにしていきたい。

小説を読み始めて、世界が広がったように。

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