このモヤモヤとした気持ちは何?映画「デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション」の感想
漫画「デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション(以下「デデデデ」)」を知ったのはいつのことだったろうか?
覚えているのは、LINE漫画か何かで表紙とタイトルを見て「一体何なんだこの漫画は?」と気になったことだった。読んではいない。
そして、映画本編前の、あの楽しい予告編の時間に「デデデデ」が流れ「あ、あの漫画、映画になったんだ」と認識したのだと思う。
映画は2部作。前章と後章。
調べてみると原作漫画は、既に完結しているとわかり「これは、観に行ってみるしかない」となった。
ちなみにあらすじはこちら。と言ってもあらすじにあまり意味は無いかもしれない。
前章:謎が謎を呼ぶ
独特な雰囲気が続く2時間。
日常っぽい雰囲気なのだが、完全に世界のねじが外れている。1本どころではなく、100本くらい。
世の中への皮肉も多い。
人が大きな声で言えないこと、言いたくないこと、見て見ぬふりをしていること、それらを、ふんわりとした絵柄で、次々と笑顔で切っていく。
観ているこちらの気持ちも、少しずつ削り取られているような感覚になる。
友情の儚さ、人の危うさ、人の傲慢さ、人を構成する良い部分も悪い分も詰まっているような気がする。
謎が謎のまま、謎だらけで前章は終了した。
自分では想像できないストーリーが展開されていった2時間だった。
後章:頭で考えてはだめ
前章で散りばめられた謎が、序盤から回収されていく。
日常と非日常の繰り返しは、前章と変わらないが、後編は非日常要素が多い。
SF要素強め。そして、なかなか残虐な目を背けたくなるような描写も。後章のみPG12指定なのも納得。
謎がどんどん明かされていく展開に興奮しながらも、クライマックスの映像と音楽には度肝を抜かれた。
あまりにも激しく絶望的なシーンに、爽やかで楽しい音楽が流れ、いままで感じたことのない感情が出てきた気がした。
恐怖でも興奮でも高揚でも安堵でもない「何か」。
見終わった後は放心状態。
爽やかなエンディングが、その放心状態をさらに増長させていった。
前章で心が削られ、後章では、それに加えさらに弄ばれているような感覚。
頭で考えてはだめな気がしてきた。
最近のZ世代と呼ばれる世代は、心が動くのが苦手で、結末を知った後に映画を観る人がいると聞くが、少し気持ちが分かった気がした。
この映画は、心を動かされまくって、どこかに置いてかれる気がする。
モヤモヤが残る。
モヤモヤがきつい。
この気持ちをどうすればいいのかわからない。
ストーリーとしては、しっかりと終わるのだけれど、釈然としない。
ちなみに、原作の最終話とは違い、映画のラストはオリジナルだったらしい。
原作も読みたくなった。が、もう本棚に本は入らない。
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