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リベラルについて

リベラルとは、自由・自由主義の意味。

リベラルな社会、つまり現代がその社会の状況と判断する。他者の自由を認めなければ、自分の自由も作れない。

自由に生きているから、私の利益を侵さない限り、あなたにも同じように自由に生きる権利があるということになる。

極論で言うならば、他者の自己実現には干渉をしない。勝手に生きればよいのでは!という考えである。つまり自己中心的な考えとなる。

世界がリベラル化してきていると考えられる。

リベラル化が進むと、なんでも勝手と考える。

結果的に自分の人生を自由に選択できるようになり、自己実現できる社会こそ素晴らしい社会と考える。

ここで考えるべきことが一つある。それは、

トレードオフとして、すべて自己責任が付いてまわるということである。

能力主義の社会、メリトクラシーな社会を構築することになる。経済格差が大きな貧富の差を生む世界を作り出すと考えられる。

リベラル化の最先端の国が、オランダである。

売春、ドラッグ、安楽死も個人の自由である。

日本は、まだまだオランダに比べて進んではいないが、今後の日本もリベラ化が大きく進む予感がする。なぜか、

少子高齢化に伴い、国家としての運用が難しくなるためである。所謂、税金による国家の運営ができなくなる。消費税、住民税、所得税等に大きな重税を課せられるようになる。

過去に、アメリカがイギリスの植民地から独立時の、ボストン・ティーパーティー事件のように、イギリスからの重税に怒りが爆発したように、国民が日本政府に対して暴動がおこることも考えられる。

自由な国であり、好きなことができる国が日本ではないのか。重税を国民から奪い、自由までも奪うのか!

ドイツ人作家 ジャンポールサルトルの言葉

「人間は自由の刑を宣告されている。なぜなら、いったんこの世に放り込まれたら、人間は自分のやることなすことの一切に責任を負わされるからだ。人生に意味を与えるかどうかは、自分次第なのだ。」

リベラル化が進み、すべての行動・結果においてすべて個人が責任が取れるのであれば、大いにリベラルの考えは賛成である。すべて個人が責任を取るのは、不可能ではないでしょうか。と私は思う。


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