須原一秀 『自死という生き方』

★★★☆☆

 こちらも前回と同様、小説ではありません。健康にも金銭的にも何も問題がないにもかかわらず、65歳で自死を選んだ元教授の著書です。

 正直なところ、この著者が好きかというとそれほどでもないんですけど、65歳で積極的に自死を選んだという事実に興味を引かれました。死を選ぶに足る問題がないにもかかわらず、人生に幕を引く。その理由を知りたいと思ったわけです。

 端的に言うと、もう人生を十分味わい尽くしたから終わるよ、ということのようです。
 もちろん、まだまだ生きられたのですが、これ以上長生きすると、身体的な問題が出てくるかもしれないし、精神的に落ち込むかもしれません。そうなってから自死するのでは、遅きに失します。心身共に健康な状態で自分らしく死にたいということでしょうか。

 ソクラテス、三島由紀夫、伊丹十三の3氏を例に出し、自死を肯定する論を展開しています。一応筋は通ってますが、自説を正当化するためのやや強引な展開がなきにしもあらずです。

 とはいえ、自死を完遂したという事実の前では、論旨を超えた説得力があります。少なくとも、口だけではないですからね。仮にまったく論理的整合性を欠いていたとしても、実践したとなると、認めざるをえないです。論理なんて吹っ飛んでしまいます。

 印象に残った箇所を二つ引用しておきます。

「人が自ら死を選択する理由は二つしかない。「何かのために死ぬ」か、「何かから逃れるために死ぬ」か、そのどちらかしかないのである。」

「人生は全体として、意味が有るものでも意味が無いものでもない。人生のある部分がある人にとって意味が有り、別のある部分はその人にとって意味が無いだけのことである。」

 うん、まあ、そうだよね、と思わず頷いてしまう意見ですが、この一見あたりまえのことが、なかなかあたりまえにはなっていないのが世の中です。

 人生に十分満足した結果、自然に自死を選ぶとしたら、それは悪い人生ではないように思えます。

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