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『見ざる、聞かざる、言わざる』は、猿

『知らぬが仏』と言う慣用句は、
知るべきことを知らないままでいる人から先に、仏様になっていきますよ、
と言う意味。

『見ざる、聞かざる、言わざる』は、
厄介なことはすべてスルーするただの世渡り上手は、人間じゃなくて猿ですよ、
と言う意味。


本来はそんな意味じゃないない。
でも、私の中では、そんな世界になってきているように見える。
大丈夫か?
と思う。

あえて言うなら、日本は正真正銘方丈記の国なのかもしれない。

困難は、過ぎると思ってる。
何であれ、過ぎ去っていく。
だから、過ぎるの待ってる。
ただ耐えて、過ぎるのを待つ。
そんな人々が思っていたより多いのかもしれない。

モノゴトはすべて起こっては過ぎ去る。
時は流れ、止まらない。
変化し続ける。
それは人間が芯から認識できる数少ない真実のひとつかもしれない。

だから、過ぎゆくのを待ってれば良いのか?
本当に、それで良いのか?
と最近とみに思う。

日本の大地は自然の移り変わりが絶えずある。
自分たちで変えなくても、自然は勝手に変わっていってくれる。
いつでもどこでも変化の中にいる気になっていられる。

恵まれた環境に甘やかされているのか、私たち日本人一般は、一度決めたことは不具合が著しく表出しても、積極的に変えようとしない。
特に偉い人たちが決めたことは間違いがない、と信じている節がある。
だから変える必要はない、と当たり前に思っている。
そういう人がかなり多数いるように見える。

変えないと、みんなが困ることがある。
誰かが変えてくれれば、それで良い。
いつでも、そういう誰かが頑張ってくれてきたかもしれない。
だから、自分が変える必要はない、という生き方をしてこられたのかもしれない。

自分個人の生活に密に関わることでも、誰かが問題を見つけて、解決してくれる。解決するまで解決できる立場の人に訴えてくれる人がいる。
そんな良い国に生まれた?

問題を自分で発見すること、調べて認識を深めること、自分で考えること、解決策を自分で探す、誰かと協力してやっていく。
自分の生きる環境がどうであれば幸せか、家族、友人たちと楽しく生きていけるか。
それは、誰かの決めたことの上でだけ、実現可能なのか?
それで、自分として生きているじっかんがあつのか。
自分として生きるというのは、自ら変えられることと変えられないことを識別して、行動によって変える、無理なことは受け入れる。
そうすることが重要ですよ、と言う祈りもあった記憶がある。

ひとりの人間として成長する、成熟していくこととは、今目の前で起こっていることの事実や真実を認識・識別できるようになることなのではないか、と思う。
それをより広く、深く認識できるようになるほど、小さな問題は問題でなくなり、生きるスペースが大きくなるかもしれない。
他者への理解が大きく深くなる。
人間関係が楽になっていくかもしれない。
そんなふうに思っている。

もちろん日本人には、いろんな人がいる。
全員違う考えを持っているだろう。
それを見越して、あえて全体の傾向を感じてみた。
集合無意識の行き先を。


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