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私の死生観


2023年を迎えることができました。
謹賀新年、本年も健やかで愛が溢れますように。ご一緒するみなさま、よろしくお願いします。

昨年も、今年も、おそらく生死について向き合う年であろう。
"大事にする人がいる悦び"を提供すること、やはりそれが私の人生であり、ライフワークの本当のところです。

昨日は、悲しい気持ちをどう整理するか考えていました。するとひとつの死生観が言葉にできました。

ある僧侶の話から、あの世は続きであると知ったのです。

私もまだまだ、別れは寂しいし、胸を痛めるし、失うことへの悲しみが強かったのです。

そんな私にとって「あの世は続きである。」という考え方は、腑に落ちる言葉でありました。

けれど、そうは言っても…
ぬくもりや、笑顔や、感動はどこに抱いていけばいいのだろう?と浮かんできます。

「残されたものは、命の大切さを考える機会を与えられ、生涯をどう生きるかと考える機会をいただいている」と、師から教わってはいました。

じゃあそれは、自ら光を抱いていく事に他ならないだろうと思った。

人は、光を抱いて生まれてきた。
あの世か続きであるなら、きっと私でも、あの世でも同じことをしているであろう。

あの世から、皆に手を差し伸べることには変わりがない。

あの世でも、左手にタコスを、右手にロゼを。オールデイダイニング。愛してる。と聞こえてきてもおかしくないと思えてきたのです。

だから、肉体や物質に固執することなく、執着することなく、続きであると感じられる領域。

その領域で感じることができ、辛かった気持ちも、続きであることが腹落ちしたら、少しばかり気持ちに変化を感じられた気がしています。

辛さで胸が痛い時は
喜びや、感動や、ぬくもりも

続きの世界から手を差し伸べてくれていると考えてみてはどうだろうか。

時空間は現実離れしていくかもしれないけれど
温もりは、誰かに委ねることではなく、自ら光を抱いていくことなのでないだろうか。

大事なのは、その存在たる自覚であると言う事に尽きる。

あなたは光。
そんなにも強い光だろうかと、疑うかもしれないけれど、間違いなくあなたは私たちの光です。

健全にその道を進み、今を愛していく。それが生きると言うことなんじゃなかろうか。

これからも言葉を残し、ぬくもりを残し、感動残し、笑顔残したりして

人々が光を抱けるように、その光を抱く
そして自らが光であると言うことを忘れない。

師も光を残してくれたんだな。

それが生きる道なのかもしれない。

何よりも光である。

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