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もし盛り上がれたら

もし私に楽しく話す技術があれば
そうをずっと思っている。

人に興味がある 人の価値観に興味がある
頭の中にある理想の団欒は
お互い 自分 を曝け出して、信頼し合って、発見して、確かめて、仲間になっている。

そういうのが、理想では一日で出来るんじゃないかと思っている
運命的な出会いは、そこらじゅうにあると確信している
たしかに嫌いな人もいるけど、その人も私に曝け出すことが出来れば、お互いの関係性は必ず充実した形になると思う

ここで、私には大きな前提があるのかもしれない
腹を割れば、皆、私みたいである

嫌いな人も、悟れば私みたいになると思っている
だから、嫌いというよりは、そういう人のことを、未発達の人 と捉えている
劣っているとも、もはや思わない。
赤ちゃんは大人より劣っているだろうか。そうは思わない。発達段階を忠実に歩んでいるのだから、いずれ大人になる。その過程のひとを、劣っているだなんて言ってしまったら可哀想だ。

そんな価値観があって、
だから自分が嫌いな人は発達途中であって、いずれ自分の様になってくれるだろうと思っている。

ただ、例外がいる。そこら中、とまでは言わないけど、自分より優れている とか 才能があるって感じる人は確かにいる

そういう人には嫉妬とか焦りとかによって対話を齎そうとする。なんとかして、自分のことを分かってもらって、自分の状態であることを認めてもらって、劣っていないと思ってほしいって感じの行動をしている。のかも
あるいは相手を自分に引き付けて、同じ論理で収束させようとする

そう考えると、私が興味あるのは、本当に他人なのかと疑問がわく。ただ寂しくて、自分と同じ人を見つけたいんじゃないか って思いが湧いてくる

(これは今湧いてきたんだけどね)

こういう落ち着き方、したとしても腑に落ちないんだよね。
メタっぽく自分を理解した風に書いても、消化しきれない。

自分の価値観がぶっ壊れるって、どんなタイミングなんだろう。
喧嘩ばっかりしてたら首絞められて、暴力を悟った小学五年生からずっと変わってない気がする

あれは価値観が変わったなあ。
なんだろう。どう変わったんだろう。
あれは、さっき自分が言ったように、"発達"だったのか、それとも"転換"だったのか。



わかんないな

てか全員自分みたいになる世界線きもいな。
全然同意できないわ

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