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人は自分の思いどおりにはならない

自分の思いどおりに相手に動いてほしい。
そう思うときは誰でもあると思う。
仕事であるならば、
「誰かあれを気を遣ってやっといてくれないかなあ~」とか
同居している家族がいて、自分は疲れて家に戻るとき
「ゴミ出しを誰かしておいてくれないかな~洗濯物取り込んでたたんでおいてくれないかな~」とか。

ここでいう相手に自分の思いどおりに動いてほしいというのは
相手の察する能力に期待することだ。
言わずとも相手が自分の思いどおりに動いてほしいと願う。

願うことは自由だが、それを相手に強要する権利は
相手を管理する立場であるとか(例えば保護者とか)指導者であるとか以外はないはずだ。

「優しくない。」
「わざと私の嫌がることをやっている。」
「気遣いが足りない。」

こういう言葉を相手に投げかけて、自分を犠牲者にする。
だが真の犠牲者は言われた方だ。
言われて納得したとして、気を遣うようになる。
ひどい場合は相手の機嫌を損ねないように一挙手一投足に気を遣うようになる。
もちろん、共同で作業するとか共同生活をしているのであれば、
最低限のルール、思いやりは必要。
それを越えて察しろとか先回りしてやっておけと言うのは違うと思う。

この人と一緒にいると楽だなって人、いると思う。
それは相手の気遣いの上で成り立っている関係だ。

無意識に気遣いができる人は一定数世の中にいる。
そうではなく、意識させて気を遣わすことを強要する人は
そのことに気がついた方がいい。

片方の努力の上に成り立っている関係は長続きしない
心理的優位にたったつもりの関係も同じだ。




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