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0120/無償の愛なんてないのかもしれない

むすめを育てながらそんな事を考える。親から子への無償の愛、なんて、ないのかもしれない。だってどこか見返りを求めているから。

こんなに誰かに依存された事は未だ嘗てない。

食事は言ってしまえば私から出る体液だし、寝たきりで自分で移動することもできないし、排泄の処理だって、体温調節だって、ぜんぶ私に任せっきりである。遊び相手だって基本的には私なのだ。このちいさな生き物は、いま私がいないと生きていけない。

ギャン泣きしたかと思いきや、腕の中ですやすやと眠るし、ぎゅっと、その小さな手は私の服を掴んで離さないこともある。私が常にどこにいるのか探しているし、みつけると、満面の笑みを浮かべて「うー」と叫ぶ。

私がそばにいること、ただそれだけで幸せそうなのだ。こんなに誰かから100%求められることなんてやっぱり今までの人生になかった。


どうしたって見返りを求めてしまう。

娘の笑顔をみたいし、なんなら泣き顔だってかわいい。背が伸びていたり、体重が増えていることに気がつくと嬉しいし、重力に逆らってまっすぐに伸びていく髪がこれからどうなっていくのかも見つめていきたい。

誰よりも幸せになってほしいと願ってしまう。好きな事を見つけてほしいし、大切だと思える人たちに出会ってほしいとも、願ってしまう。


勝手にこの世に産み落として置いて、勝手にそんな事を願う。


無償の愛なんてそんなものじゃない。逆に娘から受け取っているもの、この「100%求められる事」の方が逆説的だけれどそれに近いのではないか。

シンプルに「生きる意味」を子供は与えてくれる。この子の為に、生きなくては、と強くなる。私が今日生きる意味は、ただそれだけでよかったりする。そりゃ、私にできることはなんでもしてあげたくなる訳だなあ。

だから成長していくにつれて、だんだん依存度が少なくなってきて、ちゃんと1人で生きていけるようになってきたころに、スコンと寂しく感じたり、自分の生きる意味をまだ子供に求めてしまって、今度は親が子供に過度に依存してしまったりすることがあるのだろう。

私の生きていく意味は、だからやっぱり自分ですこしずつ付け加えていかないといけないんだろうな。なんて思いながら、すやすやとお昼寝をしている娘をぼんやりと眺める。
あ、目が覚めたみたい。

気がつけばもう生後3ヶ月。
生まれてきてくれてありがとう。

#日記 #コラム #エッセイ #ちあきろく #育児   #子育て

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