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0705-6/切りすぎた前髪の愛しさと、せつなさと、心強さと

はじめて、娘の髪を切った。私がこの手で、チョキンと。まずファーストカットが、あまりにも大胆すぎた。眉毛のはるか上に前髪のかたまりができる。イメージとしてはクレラップの女の子くらいの長さだったのだけれど、結果、梨泰院クラスのパクセロイのような前髪になってしまった。切りすぎたかな…とビデオを回している夫に確認。「うーん、ちあきがいいならいいんじゃないかな?」という返答。ちあき、これでいいのだろうか。(本人はいたって満足そうな表情で、ハサミカバーのきりんさんをもぐもぐしていた)

でも、なんか、なぜか、とても可愛い。私が切ったこの短かすぎる前髪、なんて愛おしいのだろう。嬉しくてなんども前髪を撫でてしまう。ちょっと短いかなぁ短すぎたよなあ、なんかv字に…なんて思いつつも、かわいいかわいいと言いながら前髪を撫でる。切る前までは目に入ってしまいそうな長さだったけれど、かなりすっきりしたので、はいはいしてても頭突きしてきても目に入らなそうで安心である。

人の髪を切ったのなんて、はじめてのことで。
はじめて切られた髪の毛の束は、毛先が尖っていた。筆にするという人もいるらしいけれど、とりあえず、そのまま適当な台紙にセロハンテープでペタペタ貼り付ける。「2020年7月5日はじめて髪を切りました」と書いて、母子手帳ポーチにしまっておくいた。(はじめて切った爪も入ってる)


娘の事以外の自分自身について、なんだか焦っていた。いま一番重大な任務は娘を育てることで、もうなんといってもこれは命がけの大仕事で、全身全霊で向き合ってたらそりゃくったくたになる。でも+@なんか自分のためにしたいって思う私、いいじゃん、いいじゃん。って自分自身を認めてあげながら生きていかないとあまりにも苦しいなと気がついた。「このままじゃ」って思いつめていたら自己肯定感がだだ下がってしまって、娘が寝た後の自分は妙に虚ろになってしまっていた。あぶない、あぶない。

ぼちぼちやろう。
虹プロジェクトのJ.Y.Park氏の「自分が特別だと信じて、特別だということを世界に証明してみせるという心構えが必要」という言葉がツイッターの海で流れ着いてきて、なんだか心にひっかかった。それは本当にそうかもしれないなあ、と。(虹プロジェクトはみてないのだけれど)


顔を擦り寄せてくる娘が愛おしい。いつのまにかよじ登ってきて、私のあごをかじっていたりする。可愛い。つかまり立ちが本当に上達してきた。遊び疲れてベビーサークルでしばしお昼寝していた娘、気がついたら柵に捕まってこっちをみて笑っているのでこのあたりで。

#ちあきろく #日記 #コラム #エッセイ #子育て #育児


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