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おとなのともだちって最高

大人になってからの友達って最高で、むしろ子供の頃よりもより、もっと、かけがえがないものかもしれない。

大人になって、いま、自分の家族ができて「家族」っていうものの中の私(母であり妻)がかなりの割合をしめる中、私と遊んでくれる「友達」って、私が私として出会ってきた人たちで、子供がいても会ってくれる、会いに来てくれる、人たちで、うまく言えないんだけれど、本当に、かけがえのない存在だ。お母さん以外の私に、戻れる(戻りきれないけれど)場所だ。

子供が生まれて、本当に気軽に「飲みにいこ!」なんて言えなくなってしまった。(コロナでみんなそうだったからまだ寂しさが紛れたけれど)一回飲み会に行くにしても、娘をだれか(できれば夜だし夫がいい)にみていてもらえる確証がある日じゃないとだめで、不安定で激務な夫の仕事を考えると予定なんて立たないので本当に、本当に、気軽に「飲みにいこ」って言えない。そもそもアルコールも飲めない。一回行くにも、入念なすり合わせが必要で、もうそれは「とっておき」でしかない。

それを先回りして配慮してくれて誘われないのも悲しい。「子供ができると今までみたいにあえなくなる」って思われているのが、寂しい。とても寂しい。本当に本当に寂しい。前だったら、この飲み会とか誘われてたよなあとか、去年までは毎年旅行してたのにな、とか、そういうの、本当に、寂しい。私はここにいるけれど、そこに駆けつけられないのは、寂しい。

もともと恐ろしくフットワークの軽いタイプだった私からすると、ものすごい足枷ではある。でもこの足枷が世界で一番大切なんだからしょうがない。(足枷って言い方はよくない。むしろ、今の私のすべてよりも大切なものだ)そんなのはわかっているんだけれど。わかっているんだけれど、でも、諦めたくない。友達と会う時間を諦めたくない。私と、会ってほしい。(娘にも会ってほしい)

そうなると「あそぼ!」っていっても子供連れになってくる。しかも昼間(娘の時間を考慮すると11〜18時くらいまでの間が限界)で、子連れでいけるところ。いろいろ考えると、できれば、うちに遊びに来てもらうとかが、一番気兼ねない。「あそぼ」が「会いに来てもらう」感じになってしまうことが多くて、来てくれるなら最大限におもてなしたいけれど、本当はお店でだらだら、私だけになって、会いたい時だってある。お酒も飲みたい。

娘と一緒にいると、どうしたって私の目は娘にいく。頭の7割は娘の事を考えてしまうし、実のところ話題だって娘の話しかほとんど、ない。気をつけないと娘の写真や動画をみせて「可愛いよね」とか言いかねない。私は私と、私の友達と、話がしたかったのに。娘のいる私をみてもらうような感じになってしまうときがある。ついついそうなってしまう。

さみしい、しょうがない、さみしい。

でも会えると嬉しい。本当に嬉しい。会いに来てくれて嬉しい。私と遊んでくれて、嬉しい。ありがとう、ありがとうという気持ちである。


「自分の家族」があるから、友達なんていらない、訳がない。なくてももしかしたら生活は成り立つかもしれないけれど、人生が、急に、寂しくなってしまう。私はまだまだ、欲張りでいたい。だれかとあって話をすることで、息ができる。身体的に疲れても、心がチャージされる。大袈裟じゃなく、生きていける。

夫に「ひさしぶりに人と話した」と言ってしまうことがあって「俺は人じゃないのかあ」と苦笑されることがあるけれど、そうじゃないんだ。家族以外の人と会って話すことの、大事さよ。それができなくなっていく息苦しさよ。私が苦しくなるポイントは私が一番わかっている。ここさえうまく息抜きができれば、生き抜ける。そう思う。切実なのだ。


コロナだけれど、人と会うのは再開しはじめた。
できるだけ、週に最低一回はだれかに会えるように、約束を作っていく。息抜きして生き抜く為に。娘ともっと向き合えるように。私が私でありますように。私と娘と、いまはセットだけれど、セットで、会いたいと思ってもらえるとしたら、それは本当に、嬉しい。


お母さんの友達って、いたっけな。
ママ友だけじゃなくて。

私は私の友達を、娘にどんどん紹介したい。
私のかけがえのない大切な人たちに娘を会わせたい。

そしてまたひとりに戻って飲みにいける日まで
ずっと緩やかに関係し合っていたい。

お母さんの友達って最高だよねっていう感じで、お願いしたい。ねえほんと、大人になっても、友達は最高だよ。(ほんとにね!って娘とお酒を飲む日まで)

#ちあきろく #母のこと #日記 #コラム #育児 #子育て


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