見出し画像

自称面倒くさい性格の絵描き

そもそも私の絵って・・・

随分記事をお休みしていました。
最近は描くものへの迷いが生じたり、やりたいことがあっても形にならなかったりで、まさに『迷走』そして毎朝『瞑想』して心を保っています。(笑)

様々な臓器の絵を描いてきましたが、その途中で湧き上がってきた疑問もありました。

例えば、絵の勉強などしたことのない私が描いているものは、『絵』?それとも『イラスト』?などと考えてみたり。

この絵って(臓器だからか)、人から見るとどんな感じなの?とか。 
柄にもなく人目を気にしてみたり。             

そしてこんなこともありました。

地元の展示会に初めて作品を出して、最終日に賞を取った絵についてプロの先生方から解説をするというので参加してみました。

その時どの先生もおっしゃるのが、『描き方の基本通りにできている』とか、『描き方が忠実である』とかおっしゃっていて、『やはり基本が大切なのか~。』と思ったかと思いきや、数分後に『そんなの面白くな~い』と思ってしまう生まれながらのひねくれものの私が顔を出してみたり・・・。

でもやっぱりうまく表現するためには、その基本が必要だなとは思うものの、到底やろうとしない自分がいます。                          

全く面倒くさいほど心がウロウロして、でもこの性格で半世紀以上生きてきました。

それでも変わらないのは、ただ絵を描くだけではやりがいがなく感じ、臓器を描くことで、心や身体の大切さ、健康であることがどれほど幸せか、自分を労わることを忘れないでほしいなどということを誰かに伝えたい、そんなあれやこれやの思いを伝えるために描きたいと思うのです。

アート活動を通して見えてきたもの

そして、その誰かたちと、絵を見ること、描くことを一緒にしていきたいと思うようになりました。  

絵の知識や技術など持ち合わせていない私だからこそ出来ることかもしれないと思うようになりました。

自分が描いていて感じてきたことは、その描くものへの想いに気づき、その想いをアウトプットする心地よさ、今の自分の心の思いがけない状態を知る驚き、色が与えてくれる感情の変化、何かに夢中になって時間を忘れることの大切さなど、多くのことでした。

思い返してみれば、絵を描くことが好きだった幼いころ、幼くてもこの感覚をどこか知っていたのではないかと、今になって知るのです。 

人はなぜ絵を描くのか

太古の昔から、人が絵を描いてきたのは、何かこんな感覚のことと繋がっているのかもしれません。 

絵を学ぶ学校などなかった頃であれば、私のように面倒な考えなど持たず、思ったままに描いていたのだろうと推測すると、結果、それでいいのだと思うことになった。

その昔人間が描いた絵にも、ただその頃の情景を描くだけでなく、何か他にも意味があったのかもしれないとすら思うようになりました。

そして自分も、意味のあるアート活動をしていこうと改めて思うのです。                               

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?