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「ホンモノは謙虚」は一つの法則かもしれない

ある業界で「レジェンド」と言われる方を取材したときのこと。


その歩んで来た人生は華々しく、歴史的人物とも接点があった交友録に驚きっぱなしだったが、その方はことさら自慢する感じでもなく、普通のことのように話しているのが印象的だった。


「いまやっていることは、僕にとって神さまからのギフトだった」
優しいまなざしと共に、一言。

その技術を磨くことに人生の圧倒的な時間を費やしてきたが、やってもやっても「完璧だと思えたことはない」「いつだって、今だって、勉強中だよ」と少年のように笑いながら話した。


どこの世界でも自分の実績や交友関係をこれでもかと話したがる人は多い。SNSなどを見ているとそういう人に溢れていて、その「私スゴイでしょ、認めてよ認めてよ」というほの暗い負のエネルギーに辛くなるときがある。悲しくなるときがある。


かくいう私も数年前はまさにそんな感じだった。誰もが知るテレビ番組で仕事をしていることをアピールし、ロケ行ってきます、私頑張ってますと誰に何を伝えたいのか分からない投稿をし、仕事ができる風を気取っていた。


いつしかそんな薄っぺらさに気づき、失望したわけだが。ただ一度そっちに思いきり振れたからこそ、見えたことがある。


なぜ自分がそういうアピールに走ったのか、そこから何が生まれたのか、そして自分自身がどう感じたか。そこからホンモノとそうでないモノの違いを知ることができた。今は色々“透けてみえる”感覚がある。


先のレジェンドのような、その世界の一流と呼ばれる人たちを取材する中で感じるのは、醸す空気感、使う言葉、取材者(私)への接し方、どれをとっても自然体というか、自慢げになることも、威圧してくることもない。いつだって謙虚で、穏やかなのだ。(もちろんこちらが勝手に緊張することはある。相手が相手だから。)


そしてやっていることへの愛情や情熱が、ときにストレートに、ときにじんわり伝わってきて、あぁ好きなんだなぁ、楽しいんだなぁ、いいなぁと、聴いているこちらまでワクワクしてくることもある。


そんなレジェンドもかつては自己顕示欲バリバリだったこともあるかもしれない。それでも、進んだその先に、今のスタンスにたどり着いたのだ。


私も自分の生きる世界で、あのレジェンドのような“ホンモノ“になりたい。それは牛歩の歩みかもしれないが、目指してみよう。


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