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移動距離が思考の幅? コロナ禍の今、どうやって世界を広げる?

家に籠る時間が増えた今、どうやって
世界を広げようかと考えてみた。
というお話。

私の本業はテレビディレクターだが、
今はデスク業務に徹して、
リモートワークを続けている。

ネタをリサーチして、詳細まで仕込んで、
ディレクターさん、はい、いってらっしゃい!
簡単にいうと
日々そんな感じの仕事をしている。

外部との電話連絡が頻繁にあるため、
遠慮なく話せる「家」にいる時間が
とにかく長くなった。

苦痛かと言われると…
めちゃめちゃ楽で、
めちゃくちゃ楽しくて、
私はずっと家にいられる人なんだと知った。

そんな中、昨日、ふと
お風呂で浮かんだのがタイトルの言葉だ。

「移動距離が思考の幅」
あるいは
「見ている世界が思考の幅」

「思考の幅」とは、
物事をプラスマイナス両方を
広く、時に深く考えられること。

出会う人の多さ、
目にする内容、
そこで考える量と質、
感じる熱量、
それらはすべてその人の糧になり、
思考の幅を広げる。

家に篭る私は、今、思考の幅が
とても狭くなっていないだろうか。

産後、授乳に明け暮れていた頃、
私の見ている世界は
両手に抱き抱えている赤ちゃんが全てだった。

当時は住んでいる家も狭かったため、
私はどんどんどんどん
息子との世界に没頭していった。

世間とつながるのは夫のみ。
授乳しながらテレビを観ようと試したが、
ただうるさくて、
悲しいニュースがささって、
無理だった。

(余談だが、産後、私が唯一楽しむことができた
 テレビ番組は「もやもやさま〜ず」だけ!)

育休中に資格をとったという
ママ友の話を聞くことがあったが、
私にはそんな未来を見据えて
学ぼう、アクションしようということは
まず考えられなかった。

赤ちゃんとの世界がすべてだった。

育休明けて、職場復帰。
ディレクター業にそのまま復帰したので、
日本全国に取材に行き、
編集してOAするという日々が
再び始まった。
(幼子がいるので、泊まり勤務は免除してもらった)

そうすると、一気に外に意識が向かい、
今度は息子や夫といるときも
仕事のことを考えてしまうことが増えた。

(内か外かの、両極端の振り切り。
 我ながらバランスが悪い^^;)

ある意味、世界は再び広がり始めた。


ドライブが好きな友人がいる。
何か考えをまとめたいとき、
夜の首都高をぶっ飛ばすそうだ。

そうすると、今悩んでいることが
とても些細なことに思えたり、
もっと広い目線で考えられるという。

海外を飛び回る友人がいる。
彼女は何事もラフに受け止め、動じず、
いつも冷静に判断して動いているようにみえる。

引き出しがめちゃくちゃ多いのだろう。
それはつまり、思考の幅の広さともいえる。

コロナで加速したオンライン化の波は
一瞬で遠く離れた人が繋がり、
“移動”を可能にした。

考え方次第では、
今ほど思考の幅が広がる時代は
ないのかもしれない。

ただ一方で、思うのは…
ネットを繋いだから
イコール世界が広がるわけではない
ということ。

オンライン化全盛の今、
思考の幅を広げ、世界を広げるのは、

意識的にどんな人と出会い、

意識的に何を見て、

意識的にどんなことを考えて、

意識的に何を取り入れるか、

その「意識」が、より一層
大切になってきているのではないかと思う。

差し当たり、私は何を「意識」してやろうか。

ロケに行く機会が減っている今だからこそ、
いつも以上に映像研究をして
映像表現の引き出しを増やそうかな。

今、「意識」してやったことが
どんな未来を作るのか、
そこも意識してゴール設定してみよう。

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