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【山羊日記#26】耳をすませば海がきこえる

22年の夏。
三週ジブリのラストを飾ったのが『耳をすませば』

10代の頃の僕には実はあまりピンとこない作品であった。
中学生の日常がそこにはあって、主人公の雫を通して将来の夢や不安や希望や恋なんかが綺麗事なしに描かれていた。
小説を書くことへの熱量が当時の僕には他人事すぎてレンタルするなら違うジブリを選んでいた。
でも、明らかにあの頃の僕では感じなかった雫の心境の苦しみが少しわかるようになっていた。

文章を書く。
物語を紡ぐ。
言葉に込める。

この思いは目を腫らして優先順位を頑なに変えず恐る恐る読んでもらえないかとお願いして、感想や反応、リアクションがどんな形であれ不甲斐なく泣き崩れてしまう雫そのもの。
労われて鍋焼うどんをすする雫といつの間にか自分を重ねていたことに気がついた。

こうも観方が変わるものかと自分でも驚いた。

雫のような本の虫ではなかったし図書館の本も貸し出しカードの名前を気にするほど利用していたわけでもない僕が雫と比べる立場にはないけれど、そんな中学生活を送った雫はよく自分と向き合って貫いたなと尊敬している。
やり遂げたことがすごいから。

『耳をすませば』といったら思い浮かべることがある。
ウッチャンナンチャンの内村光良さんがある番組でこれが一番好きで!と、描かれている土地の話まで力説されていた記憶。

あとは宮崎駿監督が『海がきこえる』のアンサーソングならぬアンサームービーとして作られたと何かで知った記憶がある。
触発されたのか、『海がきこえる』の若手クリエイターたちに中高生のリアルとはこうだ!と、宮崎駿さんが作品を通して訴えかけたかったのか。
それが『耳をすませば』の誕生の発端だったのかは定かではないが…

だが、僕はその『海がきこえる』がとても好きで、VHSを買って何度も観ていた。
色んな思い出があるが18歳くらいの頃、親友に面白いからと貸した。
そしていまだにそのビデオテープは返ってきてはいない。その親友だった奴ともちょっとしたことで仲違いし疎遠になり今は音信不通。
僕はDVDで『海がきこえる』を買い直した。
結果オーライではある。

なんだか『海がきこえる』は、内容もそうだが当時の自分の青い時代を思い出す作品でもある。

そして『耳をすませば』と『海がきこえる』は個人的にも特別な繋がりを持っている。

カントリーロードを高校の音楽の授業でリコーダーで吹いたこと。
それもペアを組まされ発表させられたこと。
その時の完成度の低さ。
音を外しアンガールズのジャンガジャンガ状態になったこと。

ジブリの夏は青春を呼び覚ます微炭酸の気泡のようである。

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