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【山羊日記#37】サクマ式ドロップスと火垂るの墓

サクマ式ドロップスで知られる佐久間製菓が2023年1月に廃業するとテレビのニュースが伝えた。
夜の風が草むらをざわつかせ、小池に波紋が広がった。
これは僕の心象風景。
蛍の朧気な光が一斉にふわりと舞い上がるようにいくつかの感情が込み上げてきた。
そんな幻想的な画が頭に浮かんだのも間違いなくジブリ映画の『火垂るの墓』からきている。

1988年に公開された高畑勲監督の作品。
これまでに数回は観た。
それも中学になるまでの話。
それ以降は告知のCMでも避けてきた。

小学生までは夏休みの金曜ロードショーで放送されていれば観ていた。それしか選択肢はなかった。チャンネルを変えることはしてはいけないんじゃないかと子供心に感じでいた。観なければいけないと。

この火垂るの墓にはあらゆる「戦争とは…」が含まれていて、その悲惨さは悲しいなんてものを通り越して心をしんどくさせた。
号泣ではなく嗚咽してしまう重たい映画だった。

まだ14才の清太と4才の節子の兄妹が戦争に翻弄されながらも一生懸命に、ただひたすら生きよう、生き抜こうとする物語を中学になる頃にはもう観ることが出来なくなっていた。
テレビで放送される日もチャンネルを決して合わせなかった。
一瞬でも目にしないように頑なに避けた。
辛すぎて耐えられなかった。

本編で描かれるサクマ式ドロップスの場面。

僕はあのドロップ缶を振ると火垂るの墓を思い出す。
白の薄荷味が掌に出たなら缶に戻してまた振りなおしていた。
あの頃の僕には薄荷味はハズレだった。
それも贅沢なわがままなのだ。

節子はサクマ式ドロップが大好きだった。
何色が出ても満面の笑みで頬張っていた。
中身が空になれば清太に水を入れてもらい振って飲んでいた。
僕にはきっと薄くて味気ない砂糖水を節子には甘くて美味しいジュースだったのだと想像すると胸が絞られるように苦しくなる。

栄養失調で衰弱していく節子にスイカ畑からスイカを盗む清太。結果は見つかって大人にボコボコに殴られる。
節子に栄養のあるものを…。美味しい食べ物を…。
とうとう節子はおはじきをドロップだと思い込んで口の中で転がす。もう節子の意識は朦朧としていた。
慌てておはじきを吐き出させる清太。


「なんでホタルすぐ死んでしまうん」

この節子の声がずっと観ていないのに鮮明に耳に残っていて思い出せる。
そして節子も兄の清太も栄養失調で衰弱死する。
何の罪もない年端もいかない兄妹は戦争で死んだ。戦争に殺された。
空襲で焼け死んだわけではなく、まともに食べることができずに栄養失調で死んだ。
まだ生まれてきたばかりの若い命ふたつ。
どんなに疎ましがられ大人に見捨てられても世界でたったふたりだけの兄妹が信じあって助け合って愛し合って、ホタルの光のように美しいものを見ようと生きたこと。

だめだ…涙が出てくる。

戦争が終わって生き延びた大勢の人たちが駅の構内を歩く。
小高い丘から見渡す風景はビルが建ち並び夜でも明るい。
まだこどもだった兄妹二人が懸命に生きたことも置き去りにされたように時は過ぎて豊かな生活が温もりもなく繰り広げられる。

僕はあの頃何度か観た火垂るの墓を思い出しながらこの文章を書いている。
しょっぱい涙の味を飲み込みながら。

そして、また改めて火垂るの墓を観なければいけないと思っている自分に驚いている。
これっきりのままではいけない気がしている。
いつか…いつになるのかはわからないが、火垂るの墓と向き合おうと思っている。

サクマ式ドロップスは何が出るのかワクワクした思い出とふと立ち止まって振り返ってしまうあの兄妹の面影を呼び覚ます。

サクマ式ドロップスと火垂るの墓。


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