【エッセイ】いつかはきっと一握り

一握りになるのは稀なことであることは確かだろう。例えその手がダイダラボッチの大きさであろうと。
先日、私の詩にスキをくださった方が元ジャニーズの方で、noteの枝分かれがどのように派生しているのか様々な方のページに私の記事がちょこんとあるのだなということに書き続けていくモチベーションは上がった。
そんなところはどこかミーハーなのだ。
森高千里ではないがミーハー宣言である。
そういった華やかな世界で活躍されていた方がなんの気なしであったにしてもスキを押してくださったことは簡潔に胸がときめくことである。
これがまた年齢を重ねるとキラキラ眩しいものにときめくことが増えてゆくのである。おっさん化の特徴その1。

そこで私はあることを思い出した。
学生時代、二人のジャニーズジュニア(正確には一人)が私の友人にいたことである。
中学の同級生のA君は色白で(あれを透き通った輝きというのかもしれない)背も程々高く群を抜いてかっこよかった。
女子たちは彼の色んなあることないことを話しては騒いでいた。
その話題の中でA君はジャニーズ事務所から電話があってジュニアにならないか?むしろなってくれないか?と、一度だけじゃなく連絡をもらっていたという。私は本人に本当か?と確かめてみたらば興味ないし面倒だから断ったという。
これはよく聞くあの有名なエピソードか?知らないうちに親が兄妹が、友人が履歴書を送っていたパターン!?
中学生は夢に夢見る脆く危うい時期であり、こんな夢物語をひけらかされたらとびついてもおかしくはないだろうに…A君はある意味冷静だった。
A君なら間違いなくデビュー出来ていたろう。
スター性なんかはわからないが、あれは誰がみてもジャニーズアイドル然としていた。

あとひとつ、高校の後輩にジャニーズジュニアがいた。
これは本人がかなり陽キャだったこともあり周りに言い回っていた。A君とは真逆の性格である。
後輩は次のMステでキンキさんの後ろで踊るんです。と、宣伝していた。
その話をはいはいと、聞き流すものもいたが、私は金曜の夜、Mステをガン見していた。ここがまたミーハーゆえの悲しいさがである。
一回だけでは発見できなかった。
なるほど…
あらかじめセットしておいたビデオ録画。後々何度か見直すとそれらしき人物発見。嘘ではなかった。(どこか信じてない部分もあった)

北陸のこんな地方でジャニーズとの関わりがある人と二人も出会っていた。
一握りとはいえ、意外といるものではある。

◯◯になるなんて一握り。そんな夢みたいなこと言ってないで…
これはどこか◯◯に憧れを持っていたが叶わなかった人がやめときなよと言っているように思えてしまう。
まったくそうではなかったとしても、そう聞こえてしまう。負け惜しみに。
◯◯は一握りだろうがそれをやめときなと言えない。頑張れと手放しで無責任に応援も出来ないが、諦めろとは言えない。

これって、タバコをしこたま吸ってきた人が禁煙に成功したのに似ている。
やめる前は体に悪いからやめなよとさんざん言われてもそのうちねと聞き流していた人がやめられた途端喫煙者を汚いものを見るかのように手のひら返してタバコ吸うなんて信じられないと叩く側にまわっている。何かそれと重なる。

一握りにみんな憧れを抱き、挫折し目の敵にする。
一握りになることを諦めるのも自分なら諦めないのも自分。どちらを選ぶのも自由。
ただ、他人に一握りを馬鹿にすることはしてはいけない。

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