見出し画像

【エッセイ】水色の洗面器

今でも僕は水色の洗面器を見ると条件反射で拒絶してしまう。
嘔吐した場面を思い出してしまうからだ。
幼稚園、もしかしたらそれ以前から小学生くらいまで使っていた洗面器が水色の乗り物のイラストが描かれた子供用の洗面器だった。
僕が最後に吐いた(嘔吐した)のは小学校低学年くらいだったろうか。
吐き気に負けて涙しながら嘔吐する時は決まってその洗面器にだった。
風邪や体調を崩した時によく気持ち悪くなっていた僕は嘔吐することが怖くて仕方なかった。
吐いてしまえば楽になるからと背中をさすられていたが吐き方なんてわかるわけもなく、かといって吐かなければこの気持ち悪さが解消しないのかと思うと洗面器と向かい合って永遠とも感じる時間を苦痛に耐えた。
ある時から気持ち悪くなることに怯えるようになり、気持ち悪くなりそうなことは避けるようになった。が、どれだけ気をつけても吐き気を制御できるわけもなく、もちろん気持ち悪いという感覚に襲われることはなくならなかった。
それでも僕は記憶する限り小学校低学年以降から一度も嘔吐していない。
吐き気に襲われても独自の呼吸法や意識の持っていき方などで「嘔吐」することから逃れる術を知ったのかもしれない。
どんなに吐きそうでも寸前で抑えることができた。しのぐことができた。波を越えればなんとかなった。
成長するにつれ僕は常に胃薬を何種類も常備するようになった。少しでも気持ち悪くなれば薬を飲んだ。僕は吐くことがとにかく怖かったのだ。

それにしても人にはそれぞれ様々な「症」があるものだとつくづく思い知らされる。
僕には一体いくつの「症」があるのだろう。
洗面器のことを思い出したのも珍しく長引いている風邪の日替わり弁当のように症状が変わる3日目の夜に表れた「吐き気」が原因だった。
常備していた胃薬も効き目がなく、とにかく寝てごまかした。だが次の日も頭痛と吐き気で目覚めた。夏風邪はこじらせると長引くし厄介だと昔から聞いていたがまだ夏風邪にははやい。春の、とはいっても気温が乱高下する誰にも厳しい気候ではあったが、それが単なる風邪をここまで長引かせてしまうのか…。本厄に結びつけてしまいそうになるほど少し気弱になっていた。
それでも僕はなんとしても吐きたくなかった。
あの水色の洗面器に顔を突っ込んで睨み合った光景が脳裏に焼き付いていた。

吐くのが怖い。吐くのが怖い……。

吐く時のなんともいえない、いいたくないしんどさ。あんな思いは二度としたくない。
よく吐けば楽になると二日酔いの人が便器にオロロローとやっているがあれはドラマだけの話だと僕は思うようにしている。摂食障害とはまた別に吐いた方が楽になるからと指を突っ込んで吐いて楽になっている人もいるようだが僕には正気の沙汰とは思えない。
喉に何か突っ込むこと自体無理なのだ。
昔小児科で医者に銀色の棒で舌の奥をおさえられたことがあったがもちろんえづいた。それ以降銀の棒は断ってきた。
そして、この長引く風邪が遂に吐き気を連れてきたからさぁ大変。
薬も変えてもらいなんとか快方にむかっている。
久々に「嘔吐」について真剣に考えた。
こんなにも嘔吐を避けるのは別におかしなことではないと思っている。
が、なんでも「症」が溢れる時代。思いつく「症」があった。
「嘔吐恐怖症」だった。
が、どの参考文献と照らしても僕は「嘔吐恐怖症」とはまた違うと判断した。
人前で吐くのではないかと不安になることがかなり大きな要素になるらしい。
僕はその不安ではなく、嘔吐そのものに対する恐怖である。
ただ純粋に吐くのが怖いのだ。
「パニック障害」の「不安神経症」の「会食恐怖症」の………どれだけ数珠繋ぎになるのかなんだか笑ってしまう。
少しそうやって自分の背負うものを笑えてしまえるだけ成長したのかなとも思う。思わないとやってられないのだが。
本当に厄介な性分で「症分」だなと誰を怨むわけでもないが仕方ない。付き合っていくしかない。

それでも水色の洗面器だけはこの先も体が受け付けないのだろう。水色好きなのに。





この記事が参加している募集

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?