タジキスタン・パミール再訪記18 〜ワハーン谷2日目・後編〜
午後、シトハルヴを出発。この日はビービー・ファーティマ温泉とヤムチュン砦に立ち寄り、タジキスタン側ワハーン谷で一番奥にあたるランガルまで行った。
ワハーン谷の光景
車はWさん運転、助手席にVさん、中列に私が座り出発した。
ワハーン谷を東に進むにつれ、パンジ川は川幅が広がり、いくつもの中洲を作っていくつにも別れて流れるようになった。ワハーンらしい光景なような気がした。
ビービー・ファーティマ温泉への道
だいぶ進んだところでパンジ川沿いの道から左折し、ビービー・ファーティマ温泉へと至る山側に進む道に入った。看板によると温泉までは何キロもあるようだった。
人々はワハーン谷の谷底かそこからそう離れていないところに住んでいるようなイメージがあったので、ビービー・ファーティマ温泉は谷からものすごく離れた、ものすごく山奥のような気がした。
車は狭い未舗装の道をゆっくりと登っていった。道の状態はかなり悪いと思ったが、人里離れた場所ではなく家や畑があり、お年寄りから子供たちまで人もよく見かけた。ホログではヒジャブ姿の若い女性を見かけることは極めて稀だが(一定年齢以上だとヒジャブ率も比較的高い)、ワハーンではヒジャブ姿でない女性を見かける機会は稀だった。
ビービー・ファーティマ温泉
ヤムチュン砦と思しき砦跡を通り過ぎ、その少し先がビービー・ファーティマ温泉だった。思ったほど山奥ではなく比較的開けたところといった印象で、谷の隙間からはワハーン谷の底も見えた。
受付の人からVさんが聞いたところによると、今はお客は我々だけらしい。
脱衣室に入って服を脱ぎ、階段を降りて温泉に入った(階段を降りたところがそのままお湯に入るところになっていた)。温泉は水量が豊富で、上流から小さなトンネル状のところを通してお湯がどんどん流れてきている。
温泉内は我々の到着した時は他にお客がいなかったが、温泉に入っている途中に何人か入ってきて、お風呂を上がる頃にはけっこう賑わっていた。
入浴スタイルは、裸の人と、腰にバスタオル大のタオルを巻いている人とがいる。Vさん、Wさんは前者のスタイルであり、地元の人はそうなのかもしれない。後者の人はタジキスタンの他の地域から来た人かもしれない。私は手ぬぐい大のタオルを使った。外部の人としては、おそらく観光客と軍人がいるものと思われる(お風呂から出た時の着替え場には軍服もいくらか掛けてあった)。
温泉内には小さな洞穴的なものもあり、Vさんに勧められて中に入ってみた。入り口が狭くやや苦労したが、衆人の注目をやや集めつつ中に入ることができた。
温泉に到着する頃には、標高が高いこともあってかやや頭痛がしていた。温泉に入って何か変わらないかと思ったが、頭痛がやや強くなる方向に変わったようである。
ヤムチュン砦
お風呂を出た後は、ヤムチュン砦へと行った。駐車スペースが無く、Wさんは車を別の場所に置きに行った。
ヤムチュン砦について、Vさんがいくつか伝承を話してくれた。ちょうど朝に本で読んだ内容の復習になった。アリーとファーティマがワハーンに来た、ビービー・ファーティマ温泉はファーティマ・ザフラーにゆかりの温泉である、という話については、Vさんは「あくまで伝説であり、現在のサウジアラビアにいた二人がここまで来たはずがない」と強調していた。他に、ヤムチュン砦を築くための石をアフガニスタン側からバケツリレー方式で持ってきたという伝説についても話をした。
ヤムチュン砦からは、夕暮れ時のワハーン回廊の光景が素晴らしかった。ただしかなり肌寒く、Vさんはもっと早い時刻、ビービー・ファーティマ温泉に行く前に来ていれば良かった、と言った。
心のスルタン
ヤムチュン砦への行きか帰りかにVさんと歩いている時、Vさんは何かの歌を口ずさんでいた。私も真似をして、知っていて且つ歌えそうな歌ということで「Soltan-e qalbha(心のスルタン)」を口ずさんでみた。
Vさんももちろん知っている歌で一緒に口ずさんだが、私のほうはアーレフのイラン版、Vさんのほうはアフマド・ザーヒルのアフガニスタン版で、微妙に歌詞が違う(他に、そもそも私が歌詞を覚えていない部分もある)。ともかくも、以降私はVさんから「Soltan-e qalbhaの人」とみなされることになった。
Vさんとはこの他に、ペルシア詩についての話もした。Vさんはペルシア詩にも詳しく、ハーフェズ等について話をした。
ムバーラキ・ワハーニー博物館
車で山を降り、更に東に向かった。途中、ガソリンスタンドで給油をしつつ、徐々に暗くなっていくパンジ川沿いの道を進んだ。
あたりもだいぶ暗くなった頃に、ひとつの村に入り、車を降りてムバーラキ・ワハーニー(Mubarak-i Wakhani)の博物館に行った。博物館は閉まっているようだったが、Vさんが博物館のおじいさんとコンタクトを取り開けてもらえた。
イスマーイール派のスーフィー(イスラム神秘主義者)で詩人のムバーラキ・ワハーニー(1839-1903、タジク語綴りでは「ムボーラキ・ワホーニー」)は、いろいろな発明をした人でもあるらしい。博物館の中には、ワハーンで入手可能な資材で作った農工器具や楽器など、いろいろなものが置かれていた(ワハーニーゆかりのもの以外の収集品もあるようだった)。
おじいさんはペルシア文字(ナスタアリーク)表記のペルシア語で書かれた詩集も見せてくれたが、私のペルシア語力およびナスタアリーク読解力不足で、冒頭のバスマラ(「ビスミッラーヒッラフマーニッラヒーム」=「慈悲あまねく慈愛深き神の御名において」というアラビア語の定型文)の部分以外は文意を把握できなかった。訳本も見せてもらい、原文なり訳本なりを自分でも入手せねねば、と思った。
ひととおり見た後、博物館のおじいさんにワヒー語で「クルグ(ありがとう)」と言って博物館を後にした。ただし、車に乗った後にVさんから教えてもらったところによると、この村はタジク語の村とのことだった。
ランガル
ムバーラキ・ワハーニー博物館の村を後にし、車はさらに東に向かった。
途中、商店にひとつ立ち寄って買い出しをし、さらにもうしばらく走ってランガルのVさんの親戚の家に到着した。ランガルはタジキスタン側ワハーンで一番奥にある村である。
ランガルの家では、客間でVさん、Wさんとともにお世話になった。部屋には古い電気ストーブがあり、クーフィー体風のアラビア文字でブランド名が「آراسته」(「アーラ―ステ/アーラースタ」=「装飾された」)と書かれていた。イランあるいはアフガニスタンのものだろうか?
トイレは屋外で塀に囲まれているが扉や明かりはなく、塀の上にトイレットペーパーが置かれていた。夜に置きてトイレに行く時はスマホのあかりをたよりにした。外はかなり寒かったが、星空がきれいだった。
(続き)
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