長靴で踊るーNZタカカー
NZ南島の左上角にTakakaタカカという町がある。光降り注ぐ観光地Nelsonネルソンから海沿いを走り、羊や牛が草を食むたくさんの丘を越えて、だんだん緑が深くなる山を抜け、ようやくたどり着く町。国立公園の山と海岸に挟まれたこの道は、さらにしばらく行くとCollinwoodコリンウッドの小さな集落に出て行き止まりになる。タカカにはたどり着くたびいつも、「地の果て」という言葉を思い浮かべずにはいられない。
主要な街から遠いおかげで、南島北西部のこの辺りにはダイナミックで美しい、野生の風景が大切に保存されている。タカカは、有名なAbel Tasmanエイベルタズマン国立公園や、Golden Bayゴールデン・ベイを訪れる人のベースとして知られる場所で、人口1300人ほどの小さな町ながら、旅人向けのホステルや、素朴なお土産屋さんなどもある。
私たちがその町を訪れたのは、すでに秋も深まった5月のこと(南半球なので、日本の四季とはほぼ6か月のずれがある)。海で泳ぐにも、山を歩くにももう寒すぎて、ビジターはほとんどいない、のんびりとした土曜日だった。
当時住んでいたBlenheimブレナムからここまでは、寄り道を含めて半日がかりのドライブ。お天気もよく、すでに車窓から美しい景色を楽しんでしまった私たち4人は、これ以上どこかへ行く気にもならず、ホステルに荷物と車を置いて町を歩くことにした。
メインストリートのうち、商店が並ぶのは200メートルほど。カフェ、銀行、雑貨屋、ガソリンスタンド、よろず屋、フィッシュアンドチップスのテイクアウェイなど。平屋の建物ばかりで、空が広い。土曜日の明るい午後だというのに、人通りは多くない。
スーパーマーケットの前を通りかかったら、駐車場で何やら歓声が上がっている。見るとそこには、屈強な男性が3人、それぞれ太い丸太の上で斧を振り下ろしている。みるみる割れ目が深くなり、ばこっと丸太が折れると、その男性は高く右手を挙げてガッツポーズをした。どうやら、丸太割り選手権が開催されていたらしい。わーっと拍手があがり、やがて見物客は散り散りに解散した。
南島にいると、ときどきこういうユーモラスなコンテストに出会う。羊の毛刈り競争や、重い袋を背負って障害物競争をする鉄人レース的なものなど。日々の仕事で鍛えた肉体やスキルを、こうやって時々披露するのだ。山や森にほど近いこの町には、林業や木材加工業の従事者も多いのだろう。
小腹がすいたので、フィッシュアンドチップスを買う。南島には、どんな小さな町にもカフェと、フィッシュアンドチップス屋がある(たぶん北島もそうなのだと思う)。魚の種類と、 チップス(すなわちフライドポテト。細くないタイプ)の量を選んでオーダーする。チップスの単位はScoop。ひとすくい、ふたすくい、と数える。なおそこそこ大食漢の私でも、1/2スクープでお腹がいっぱいになる。
コーラやセブンアップを一緒に買って、チップス屋の外のベンチで思い思いに座って食べた。夕方になって、子供たちが集まってきた。自転車でくる子、スケボーでくる子、手をつないだ兄妹。われわれ季節外れの観光客(南米人2名、ラテン、アジアン)を怪訝な顔で伺いながら、各々おやつを買って散ってゆく。ハイ、と小さな声であいさつしてくれる子もいる。
満腹になって、いよいよすることも思いつかなくなって、まだ明るいけれどビールを飲みに行くことにする。宿の近くにTavern(酒場)があることは確認済み。お店の中央の、背の高いテーブルに通された。これもこの国でよくあることだけれど、椅子がないので立ち飲みである。グラス片手に歩き回って、いろんな人とお喋りしながら飲むのだ。
まだ早い時間だから、先客は初老の紳士1人。雑誌を眺めながら、カウンターで静かに飲んでいる。私たちも、もう静かにゆっくり嗜むことにする。けだるい異国の夕方。
日が暮れ、アルコールで現実世界がふわふわと溶け始めたころ、ひとり、またひとりとお客が入りはじめた。男性の一人客、中年夫婦、職場の仲間とおぼしき、おそろいのシャツを着た三人組。気づけば私たちの卓も相席になり、この静かな街のどこから?と思うほど店内は人で溢れていた。あっという間に店内は賑やかになり、酒場の時間が始まった。
みんな長靴だった。トラック運転手や屋外労働者のユニフォームである、オレンジのベストを着ている人もいる。土曜日、週の最後の仕事を終えて、この酒場に集まってきたのだ。
やがて、バンドの生演奏が始まった。サックスの音色が、バスドラムの響きが、人々の熱気と混ざり合う。方々で乾杯が起こり、耳元で叫ぶようにお喋りをする。
と、一人の女性が、バンドの目の前に躍り出た。アップテンポなリズムに合わせて両手を掲げ、めちゃくちゃなステップで身体を揺らす。皆の視線が集まり、ほんの少し恥ずかしそうにはにかんだけれど、すぐに満面の笑みで音楽に身をゆだねた。くるくるとぎこちなく回って、髪をかき上げる。
気持ちよさそうに踊る女性につられて、あちらこちらでダンスが始まった。ペアになって踊る男女、ステップを踏みながら手拍子で盛り上げる人。
私の目の前でも、同行していたアルゼンチン人のカップルが息ぴったりに踊り始めておどろいた。ネイティブの血が濃いであろう、赤みが買った肌に真っ黒の髪、思慮深い瞳を持つ二人は、決して他人を攻撃しない、かしこく物静かな人たちだ。真剣な眼差しで見つめあい、機敏にステップを繰り出す。まさかこんな特技があるとは知らなかった。口を開けて見つめる私に彼女は、踊るの結構好きなんだ、とこともなげに言って微笑んだ。
熱狂だった。熱かった。ふと冷静になって見渡すと、みんな長靴で踊っていた。半ズボンに長靴。汚れたシャツやつなぎのまま、自分を解放する。一人一人の放つ熱が大きなうねりとなって、高揚の波にみんなで飲まれるのだ。彼らはきっと明日、二日酔いの中で起きて、家族で遅い朝食をとり、穏やかな日曜日を過ごすだろう。そしてまた、一週間が始まる。土地に根付き、働く、繰り返していくことの尊さを思った。
曲が終わり、互いを称える拍手を送る。バンドはスローテンポな曲を奏で始める。皆、酒を片手に左右に身体を揺らす。私たちはくらくらと酔いながら、夜道を歩いて宿に帰った。
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