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運もあるけど運だけではないような気がして一年をふりかえる。

 一年を振り返るにはずいぶん半端な時期だ。

 私は「物語をつくりたい」という衝動から小説を書いています。
 短期的目標として設定したのが、2025年12月までに公募やコンテストの大小問わず、「一次選考通過」をすること(上記ポストは、本気出すと決めた2022年末を出発点に設定したらしい)。
 甘っちょろい目的・目標なのかもしれない。しかし、結果がついてくるようになった今、「一次選考通過」はとても有要な目標だったのではないだろうかと、考えるようになった。
 何をそんなにイキっているのかというと、ほぼ同時期に書いた作品で立て続けに小説コンテストの二次選考を通過して浮かれているからだ。今年は、向き不向きの確認も含めていろいろなコンテストに興味を持ってみよう、という考えだった。結果は率直に言って出来過ぎである。
 しかしこれを「出来過ぎ」という言葉で片付けると、「運が良かっただけ」ということにならないだろうか? 落選の反省は手慣れたものだが、良い結果についても冷静に自己分析をしてみたい。
 失意のさなコン3(2023年7月)から一年間と少し、何をやってきて、何がポイントであったのかを洗い出してみたい。
 出来過ぎの「なぜ」を紐解くことが、今後の創作活動の悩みや迷いの解消のために、役に立つと思うからだ。


スケジュール表にしてみよう

 私が書いている短編小説はほぼコンテスト応募用。まとめると下記のようになる。

老眼の人に冷たい表示だが、これが私の一年間…

 結論:ほぼずっと書き続けていた。

 どの口が言ってるんだ?? 「お前の目は節穴か」のお口(おくち)バージョン??
 …スケジュール表の水色塗りつぶしが、My重要ポイント。転換期だったかな、と思われる出来事。時系列で書いていきます。

かぐやSF3への参加 コンテストについて知る

 さなコン3で勝手に盛り上がり勝手に敗北。「未来のスポーツ」という魅力的なテーマに惹かれ、懲りずにSF小説のコンテストに参加した。かぐやSF3ですね。
 自分なりに面白いものを書いたつもりだったが、かなりの点数がピックアップされていた、「選外佳作」にも入れなかった。
 ところが、SF初心者にとても優しくしてくれたこちらのコンテスト。有料の座談会は、入賞作品についての詳細な解説など、大変参考になるお話ばかり。この時に得られたものは大きく、参加してよかったと今でも思っている。
 審査員の発言の中には「コンテストは運だ」と受け取れるものもあった。力量も大事だが、運はつきまとう。例えばネタ被りなどがあれば、どうしても横並びで比較されてしまうことなど(このあたりは他のコンテストの講評でもたびたび聞かれる話だ)。
 どんな自信作であっても、選考通過の可能性はゼロではないし100にもならない。落選してもめげない・諦めないための理由づけとしては、とても大事なことだと感じた。
 同時に、横並びで比較されてしまった時に、選ばれる力量が必要とも解釈できる。だから私は少しでもより良いものを書くために、考える努力を始めたように思う。
 そこなの、と思われる方もいるかもしれないが、誤字脱字の点検はわりと本気でやるようになりました。あと、話を作れても骨組みの国語科がおろそかな自覚があるので、辞書のたぐいが執筆のお友達です。

「ハンチバック」を読み小説家の怒りに触れる

 次に読者体験の話。約10年間ほど、ほとんど読書が出来ていなかったため、「今」書かれた本を選んで読むようにしている。
「ハンチバッグ」はいわずもがな芥川賞受賞作で、母に勧められて手に取った。
 私は作品がめちゃくちゃ怒っていると感じた。作品の中でも外(作者のインタビューなど)でも怒りが迸っている。こんなに怒っている小説を、私は知らなかった。
「小説って怒っていてもいいんだ」と思った。
 この作品を知ることで、自分の中にある負の感情の言語化を、意識するようになったように思う。

カクヨムコンの初心者向けアドバイスを読む

 カクヨムコン9短編賞に参加するにあたり、「初めて書く人向け」として短めのコラムが紹介されていた。
【カクヨム小説創作オンライン講座2019】物語作り実践編! 
 こちらは、強めなアイディアで短編小説を作りたい人に有用かと。
 アイディアづくりのメソッドが紹介されているのでおすすめ。要約すると、「イメージと言葉を交互に発展させる」手法のひとつですかね。
 商品企画関係でこういう手法があることを知ってはいたが、小説にも使えるかどうかは確証がなかったので、背中を押される内容だった。この時期に書いていたカクヨムコン短編および星々の短編小説の案出しは、こちらのメソッドを活用しました。

応募要項を熟読する/コンテストの傾向を調べる/応募する側がコンテストを審査する

 カテゴリーエラーやレーベルエラーを防止するため。過去の受賞作があれば目を通す。大きめのコンテストであれば分析コラムを公開している人がいたりするので興味本位で覗いてみる(公式発信でないものについては、信じるか信じないかは自己判断です)。
 カテエラについては過去にこんな日記も書いています。

 各コンテストにより審査の目的が異なることにも留意したい。おもしろい作品を集めたいのか、創作者を育てたいのか、それとも商業的側面が強いのか。受賞作は本になるのか、絵になるのか、漫画になるのか、映像になるのか。審査員が作家なのか、編集者なのかによっても審査基準は変わるだろう。技術点と芸術点のどちらを重視するコンテストなのか、などなど。
 コンテストは何も審査員が応募者を見ているだけとは限らない。応募者側からコンテストをしっかりと観察すれば、さまざまな切り口があると思うし、それらによって応募するべき作品は、ずいぶん変わってくると思う。

 審査方法についてはこればかりは「運」だよなーとも。審査員ガチャなんていう言葉も散見されるくらいなので。「より複数の人間に刺さるものを書いた者」が選考に通りやすいのだろう、とは思う。
 ポイントとしては、ずばぬけた「上手さ」とか、強烈なアイディアなど。はたまた、落ちても落ちても応募し続ける創作の熱量や強さ、なのかもしれない。

第3回星々短編小説コンテストへの参加 自己の内側にあるものをフィクションに昇華する

 コンテストの傾向に合う合わないはもちろん人ぞれぞれあると思うので、全ての人にとってこのコンテストが良いという話ではないですが。なぜ私が、星々のような文芸寄りのコンテストを選んで応募したのかというと、私なりに考えた理由がある。

  • 歴代の入賞者のお名前を見て「一次選考通過」が出来たら自信につながると考えたから。

  • 正賞を出さない年があり、審査基準に確かなものがあると感じたから。

  • 一度SFから離れて基礎を見直そうという考えがあったから。丁寧に書き切ることが重視されているコンテストであると判断し、私のねらいに一致していた。

 作品内の具体的なふりかえりはすでに書いていたりします。「ホラー」というジャンルへの洞察がメインです。そしてなぜ「ホラー」を書いたのかについて。

 執筆期間は案出しから数えて2ヶ月くらい。字数は一万字弱。それまででいちばん時間をかけたかもしれない。何はともあれ結果として目標である一次選考通過を果たし、実感としても筆力が上がったことが感じられ、大きな自信につながった。この時の達成感は、この先ずっと、小説を書く私の支えになると思う。

小説を読み好きな点を言語化することで語彙を鍛える

 ブランクがあるといっても書く歴は10年を超えている。にもかかわらず、WEB小説はあまり読んでこなかった。さなコン3をきっかけに、主にエックスを通じて、自分の作品を読んでいただいたりして、それじゃあ、と気楽な気持ちで読みに伺えば、めちゃくちゃ上手い人ばかり。愕然とした。
 当然、そういう方々が書く感想もまた、上手い。冷や汗をかきながらしどろもどろ、私なりの感想をお返ししたのは、良い思い出である。

 良い・好きと思った部分を丁寧に考え、慎重に言葉を選び言語化すること。小説を書く時よりも頭を使うように思います。それが語彙の鍛錬につながる。
 書籍化済みの方やコンテスト入賞常連の方、知識に厚い方とかもいらっしゃるので、未だにハードル高い行為ではある。けど、どちらかというと自分のためという側面が強いから…と言い訳をして、エイヤーな勢いで感想を投げまくっています。

 これは外国語学習で読解が超絶出来ても外国語作文がヘタクソという現象に似てくるような気もする。言葉や表現を知らないと他者に伝えることは出来ないっていう当然のことを、改めて考えさせられるのだ。

 伝えるための努力は誰かのため以前に、自分にとって無駄じゃない、と思う次第です。

以上が年表の振り返り。
ここからは時系列の出来事に付随する、小説以外の読書の話です。

わからないことは、本を読む

 わからないわからないと泣き言言っていないで、調べてみようかと考えた。
 SF小説よりも、理系の新書を中心に読み漁っている(といってもまだ数冊ですが…)。好きなSF小説やSF映画をヒントに、背景になっていそうな知識について調べる、という感じ。
 直接物語につながることばかりでなくとも、知りたくて読んでいれば、おもしろい。研究者の熱意に圧倒される。
 そもそも高校は文系コースだったし当時は理系科目に強い興味もなく。やはり知りたい欲がある時にお勉強するのが一番である。

 あとは小説の書き方についてはずっと自己流だったので、藁にもすがる思いで最近はさまざまなノウハウ本を漁っています。
 小説以外で、個人的にとても役に立ったり、印象に残った本について、書いておきます。
(小説の感想文は普段からこまめに書いているので過去記事をご参照。)

「文章作法事典」中村明著

 文豪の例文で文章作法が解説されている。どこが素晴らしいのかを、詳細な解説で理解できる。実践についての明確な方法論の提示はほぼ無い。例文を通して感覚的に理解できる点が、私に合っているのだと思う。結末の書き方はこちらの本で獲得した感が強い。
 この本を元手に、気になった文豪作品を読むのも素敵だと思う。私はこちらを読んだことで、夏目漱石が好きだと強く自覚したので(「坊ちゃん」は元々大好き)、「吾輩は猫である」をときどき読んでいる。

「文の長さ」という項目がある。
 自分が書く一文について、それほど字数が多いという自覚はなかった。しかし一文の字数の目安が明記してあって、確認してみたら「意外と長かったんだな」と発覚した。
 短い文だけだとそっけなく感じるので、リズムよく長さをコントロールするようにしている。私が書くものは、これだけで劇的に変わったように思う。
 他の方の指南系著書でも「一文を短く」はよく見かけます。

「マンガ 量子力学」石川 真之介著

「文系にもわかる○○」といった入門系の本はどれを読んでも、扱う項目が多少異なりはしてもそれほど差異はない印象がある。
 映画『オッペンハイマー』を見た後だったかな、あまりにも知識無いため「マンガなら気楽に読めそうでいいかも〜」などと軽い気持ちで手に取ったこちらのブルーバックス。
 一味違いました。
 わからねえ。ムズカシイ。専門書だコレ。
わからない人は数式を読み飛ばしてもらっていいです」っていう一見親切に見える一言が、素人を冷たく突き放す。
 ドMだから、冷たくされるとうれしくなるんだよなあ…。
 わからないところは何度も読み返す。なぜなら作者が伝えたがっているから。
 この本を読んでいなかったら、さなコン2024の作品は出来なかっただろう。

 古典力学と量子力学を比較する内容だったので、量子力学以前のことも含めて概念的な部分をふんわりと学習できました。

「脳の意識 機械の意識」渡辺 正峰著

 さなコン作品を書くにあたって、肉体と精神を切り離すことは現実で可能なのか、を知りたくて読んだ一冊。
 知りたい内容については、まだちょっと実現が難しそうだな、という印象を持った。脳みその中身はまだまだ難解で、情報量だけ取り出すと凄まじい量になるらしい、というイメージだけを得ることになった。さなコンの作品内で「意識」を箱の中に移す作業の描写に活用しました。

まとめ的ななにか

「コンテストは運(もある)」について

 小説は人間が書くものだし、それを審査するのも人間なのだし。就活とそっくりだなと、私はよく思う。「ご縁」とか「一期一会」とかいう言葉がしっくりくる。
 なお、冒頭の年間スケジュール表でおわかりいただけるが、一度PIXIVの小説コンテスト(PIXIVノベル大賞2022Autumn)で入賞している。当時書いたご機嫌な自作語り記事がある。

 非常に青い。まぶしいくらい、青い。
 この時は浮かれていた。たかを括っていた。だからこそさなコン3の落選がショックだった。初めて交流させてもらった方々と感想を送り合ったりするのが、イベントとして楽しかったのもあって、余計に。
 小説って自由でいいんだと思い込んでいたからだ。あまりにも悔しくて情けなくて「趣味」という言い訳をその時に外した。「悔しい」のであれば、もう「楽しい」だけでは済まされないと、思ってのことだ。
 それでも、当時書いたものを卑下するつもりはない。「よりよくするために」過去の作品に手を加えようとしてもそれがなかなか進まないのは、その時にしか書けないアイディアであったり、勢いであったり、そっとしておきたいものが、たくさん詰まっているからなのだろう。
 入賞作品の「フェアリーファイト」は手を入れる隙間がない、非常に明るいチャンバラおとぎ話。その時にしか出せなかったパワーで書ききっている。紛うことなき私の傑作の一つだ。だからこそ審査した顔の見えない誰かにブッ刺さったのだろう。
 この先も落選したり、選考に進めたりの繰り返しだ。就活だって仕事のコンペだって一緒ではないか。すべてがオープンにならない以上、落ちた理由は推測するしかないし、考えてもわからないことがあるのは、当然なのだから。時には「運」を味方につけ、また時には「運」を自分に都合の良い言い訳として、活用していきたい。

 最終選考作品となった2つのコンテストについての個別のふりかえりもまとめています。ご参考まで。


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