見出し画像

この物語のゆくえ

この物語を完結させたい。今の私はそれをひどく願っている。
でも、できない…。
どうやったら完結させられるのか?
やるべきことは分かっている。
なのに、できないのだ。

この物語の始まりは、5年前。

傷み切った心を立ち直らせるため、ある決意を胸に私は扉を叩いた。
すると扉は開いた。私の熱意を買ってくれたのだという。
熱意以外の何も持ち合わせていなかった私にチャンスを与えてくれたのだ。
扉の向こうに進んだとき、私は自分がチャンスを活かせる人間だと信じていた。
何より、自分を回復させるためなら何でもするし出来ると思っていた。

だが、全く自分への甘さに気がついていなかった。
途中まではどうにか誤魔化しながらも進めていた。
しかし、結局何も分かっていなかったし、甘かったのだ。
熱意だけでは乗り越えられない。
熱意の裏付けとしての努力が圧倒的に足りなかったのだ。
コツコツやるとか、計画的にやるとか、丁寧に取り組むとか、そういったことが出来なかった。皆の前で進捗状況を報告する時は毎回お茶を濁すような話ばかりしていた。

悪戯に時は過ぎて行った。
時間が経過するにつれて、当初あった熱意すらも失われつつあった。
「こんなことして何の意味があるのかな」「そもそもこれは世間に通用することなのかな」「必要な手続きが大変過ぎて面倒で億劫」「本業の仕事が忙しい」
そんなことばかりを考えて何も進めようとしない自分に言い訳をし続けた。

タイムリミットは、あと1年。
ここまでに結果が出せないと時間切れとなる。

そんな時、「書く習慣」(クロスメディア・パブリッシング)という本のある一節に目が止まった。
「完璧主義の人に必要なのはおわらせる勇気。どんな形でもいいから今取り組んでいるものに幕を引いてあげること」とあった。
あまりのストレートな表現が私の心に真っ直ぐに刺さった。

そうだ。私はこの物語をちゃんと終わらせないといけない。
自分が始めたことだから、自分が終わらせればいいのだ。
「出来ない」とかそんなことは関係ない。ただ、終わらせるだけ。
それだけだ。

壮大な話ではない。ただ、自分がやり始めたことを終わらせる。
そんなシンプルなことに気がつかずウジウジしていた自分がアホらしくなってきた。

まずは手始めにずっとサボっていた作業を再開しよう。
また袋小路に入ってしまうかもしれないけれど、「終わらせるにはどうしたらいい?」と再び自分に問おう。
作業が出来たら報告しよう。
厳しいことを指摘されたら、「これも終わらせるために必要なことだ」と自分に言い聞かせよう。

この物語のゆくえは終わりを目指すことだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?