なぜ二重から一重に整形する人がいないのか。
一昔前までは、整形にはネガティブなイメージが付きものだった。だが今では身近なものになりつつある。
お手頃価格で心理的ハードルも低いプチ整形という選択肢もある。誰もが美しさを手に入れられる時代。素晴らしいと思う。
整形をカミングアウトする芸能人やYouTuberもいるし、知人が整形したという話も聞く。二重、鼻筋を細くする、顎を削る、など。
ただ、僕が気になるのは、上に書いた整形の「反対」をする人を、まったく聞かないことだ。
二重から一重にする人
鼻筋を太くする人
顎の幅を広くする人
そんな話をしている人を見たことがない。僕が知らないだけかもしれないし、技術的にできないのかもしれない。
それにしたって「二重がコンプレックスだから一重にしたい」なんて人がいたっていいじゃないか。
なぜ聞かないのか。
コンプレックス、そうだ。
整形とは、満足していない自分の容姿を、理想の容姿に近づけること。
じゃあ、その理想とはなんだろう。
それはきっと、「社会の美の基準」だろう。
コンプレックスとは、当人が生きる社会の美の基準と、自分の容姿との乖離。
整形とは、その乖離を埋める行為だ。
平安時代の日本では切れ長の目、大きな顔が美の基準だったらしい。
小野小町に整形を提案しても「パッチリ二重にしたいな」とは言わないだろう。
整形したい人の多くが二重、細い鼻、スリムな顎を求めるのは、それが社会の美の基準だからだ。
ファッションで例えるなら「コレさえ着ておけば正解!冬のアウター特集」といったタイトルの記事や雑誌を見ながら服を買いに行くようなものだ。
何も悪いことじゃない。その行為でコンプレックスを解消して、明日から胸を張って生きられるなら、今すぐそうするべきだ。
ただ、
「コレさえ着ておけば正解!」
もいいけど
「世間になんと言われようが私はコレを着る」
そんなファッションも見たい。
タイトルの「なぜ二重から一重に整形する人がいないのか」にはそんな気持ちを込めてみた。
他人の価値観にどうこういうのは不粋だと分かっている。
でも、一般的な価値観なんて見向きもせずに、自分の美の価値観に向かって突き進む人が増えたら、楽しい世の中になりそうだと期待してしまう。
「パッチリ二重が嫌だから一重にしたい」
「鼻筋が細すぎるから太くしたい」
そんな整形をした人、したい人がいたら、僕はなぜか嬉しくなってしまうと思う。
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