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期待すること。引っ越すこと。

引っ越すことにした。
同じ町で、移動距離は4キロほど。生活圏域はほとんど変わらない。
今までの引っ越しと明らかに違うところは、目的が「引っ越し」ということだ。
今までは、大学に進学するから、就職するからという目的があり、引っ越しは目的達成のための手段だった。しかし、今回は引っ越しそのものが目的となった。
何か大きな決断をしたわけではない。仕事も、友人関係も、生活のリズムも、これまでとなんら変わりない。この引っ越しに意味があるのかと聞かれると、うーん。意味はないのかもしれない。でも、意味がなく、変わりがないから、引っ越しをするんです、と言いたい。

社会人になってから住み始めた今のアパートは、とても良い条件だった。家賃だって高くないし、ゴミはいつでも出せるし、近隣に変な人もいないし、困ったことがあればすぐに同じ敷地内に住む大家さん(優しいおばあちゃん)に伝えることができた。築年数は長く、古いアパートではあるものの、色褪せた玄関扉が好きだし、窓から見える山もいいなと思っている。
最初は、誰かが廊下を歩くとまるで私の部屋を誰かが歩いてるのではと思うほど音が響くことに驚いたり、ゲジゲジが出て泣いたり、大変なこともあったけど、それも今では何も困っていない。廊下の音には慣れるし、ゲジゲジの対処方法も学んだ。家賃を自動送金していたが、自動送金の期間が終わっていることに気が付かず、3ヶ月ほど家賃を払っていなくて、父に電話が行き、父から「お金ないのか」と心配の電話が来るという事件もあったりした。その時、私はのんきに「最近お金貯まってるな〜」なんて思っていた。そりゃ貯まる。だって家賃払ってないんだもの。

引っ越しを決めた理由は、ノリと勢い。そして「何かが変わるかもしれない」という淡い期待。淡くて、弱くて、情けない期待。何を変えたいのか、何を期待しているのか、全く明確なものはない。その期待を、誰かに託すこともなく、誰かと持つこともなく、そっと一人で、握りしめている。

「何かが変わるかもしれないと思って」と堂々と、希望に満ちた目で言える人もいるだろう。変わることを、ほぼ確定と思えているから。
私は、言えないなぁ。だって「何も変わらない」がすぐ後ろに控えているから。「何も変わらない」は、私を常に見張っているから。

「何か」が変わったことが、あるだろうか。
「何か」という淡く、わがままな期待が、叶ったことはあるだろうか。

現実が、想像を上回ることはないことに、私たちは薄々気がついている。
私はこれ以上特に変わることもないだろうと、薄々気がついている。
私の人生こんなもんかなって、こんくらいでしょって、思ってる。

「何か」なんて淡い期待は、すぐさま捨てた方がいいのだ。
わかってる。わかってる。そう言って、まだ、握りしめている。

握りしめて、私は引っ越しを決めた。まるで意味がないような引っ越しは、私がまだ自分の人生を諦めないためにするように見える。人生を諦めないために、私たちは時々自分を変えようとするんだ。それは一種の生存本能に思える。

この間の「マツコ会議」で江口のりことマツコが引っ越しの話をしていた。江口のりこは「人生何も変わらないから引っ越しをするんだ」と言っていた。その通りだと思い、私は少し泣いた。江口のりこは、何もかも嫌になる時がって、そんな時に一番変えやすのが家だと話していた。私は、何もかも嫌になったわけじゃないが、一番変えやすいのは家というところに、首がもげるかと思うくらい頷いた。

誰にも迷惑をかけずに、自分の判断でできる引っ越しは、それ(人生のイベント)っぽく見える。「え、引っ越すの?!」と何度も言われた。みんな同棲とか、転勤とか、転職だって思ったようで、何も変わらなことを伝えると「なーんだ」という顔をする。わかりやすく「なーんだ」という顔。言わないけれど、顔がはっきりと言っている。ご報告的なものをしたことがない私は、みんなのわかりやすい顔にちょっと驚きつつ、みんなこれをしたいんだな〜と思った。みんなご報告したいのだ。自分の大したことない人生を、それっぽくするために。なんてね。

GWで、部屋の片付けは大体終わった。あとは大きな家電を動かすだけだ。
淡い期待は、私を生かすためのものであり、となるとこの引っ越しは、私を生かすための引っ越しと言える。
いいじゃん。私の人生だ。私が私の人生に期待しないで、誰が期待してくれるんだ。

新しい部屋は、きっと新しい風を運んでくれる。そう期待している。



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