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私がプロダンサーにならず、就職する事を決めた理由


日本のストリートダンスカルチャーに「プロ」という明確なモノが当時存在しなかったため、正しくは、「ダンスを仕事にして食べていく」決断をしなかった。

私は、学生時代本気でダンスに取り組んでいた。大学もダンスを本気でするため。母親との約束で「国公立に行ったら、好きなだけダンスしていい、一人暮らししていい」(もう10年以上前なので若干曖昧ですが)という条件。

当時、ストリートダンスにいいイメージをもっている人は少なくなかったので、説得力を得るためにも、入試を乗り越える事は絶対条件だと自分でも思っていた。(大学入試については長くなるのでまた今度)

死ぬ気で準備して、作戦勝ちで入学。

夏休みには1日10時間くらい練習する毎日。
全てを踊る事に集中させた結果、評価してもらえるようになった。
卒業できる程度に勉学を行い、ひたすら踊っていた。

1、簡単な略歴

相方にも恵まれて、大学2年生の時に、BUZZ STYLE(大学生ストリートダンスコンテスト)の大阪予選で優勝。当時ほとんど4年生しか決勝大会にいけていない中、評価してもらえた事は大きな経験でした。

その他、ダンスをしている方ならば、分かるであろう大会
ADHIP社主催の、BIGBANGTRUE SKOOL **では何度か入賞し、
アノマリー主催のDANCE@LIVE HOUSE
**サイドではポイントランカーでシーズンを通して挑戦した。(ちなみに二十歳の私はBEST4どまり、、、)

当時はダンススタジオでレッスンを2本持っていて、ダンスバトルも活発にあった時代だったので、バトルで優勝すると賞金もそこそこ貰えて、学生のアルバイト代は十分稼げていた。


2、それでもプロを選ばなかった理由


仕事としてのダンスを意識した瞬間、ダンスが全く楽しくなくなった。
出場するバトルでは、高確率でトーナメントに上がれていたので、期待の眼差し、試されているような眼差し「どんな踊りするん?」みたいな。「あ、あの人!」と顔も指すようになり、かなり息苦しかった。自分でゆうのもなんだけど、当時はそこそこ有名だったのが、本当に嫌だった。

結果がイマイチ出なくなるとスタジオの生徒も減っていき、「常に結果を出し続けなければならない」と自分を追い込むようになった。シンプルに自分で作ったプレッシャーに負けてしまった。

もちろんインストラクターが結果がでていないとダメだとは思わない。教える事がとても上手な人は沢山いるし、人柄が素敵だったり、先生に会いに行きたいからレッスンに行く。高校生の私は、まさにそれで、先生が好きで毎週レッスンに通っていた。
でも、もともと人見知りが激しい私は、はじめましてが多い環境も辛かったし、どれくらいのエネルギーで教えていいのかもわからなかった。

最も大きな理由は、ダンスを嫌いになるのが嫌だった。


3、好きなことを仕事にする


とはいえ、学生時代にダンスだけにエネルギーを注いだ私が唯一アイデンティティを出せるのはこの経験。

なんでダンスがすきなのか、コンテストやダンスバトルに挑戦してきたのか、そこから自己分析をした結果、


◎(人見知りだけど)コミュニケーションがしたい

◎挑戦が好き(スキルアップして自分を試したい)

◎心理戦での駆け引きが楽しい

この感覚が得られる仕事ならば、仕事をしながらも毎日ダンスしている感覚になれるんじゃないか。プレイヤーでい続ける事ができるんじゃないか。と思い

最初に就職したのがとある航空会社。

いまは別の会社に転職したけれど、毎日の心理戦は本当に刺激的だった。
現在の会社でも毎日刺激的な経験をさせてもらえている。
仕事で培った即興性と多様な価値観を活かして、2019年からダンスを本気で再開させた。今は昔と違った感覚でダンスに取り組めている。

結果的に、ダンスという好きなことを仕事にはしなかった。けれど、その中でもなにが好きなのかを考える事で、今の仕事にもやりがいを見出せている。

たぶん、またどこかに転職しても、自分の中の好きなことが分かっているのできっと楽しめると思ってる。
直接的に好きな事を仕事にする事が全てではないんだなあと思えて、とても楽になったし、楽しくなった。


この記事の表紙?画像は昨年2019年DANCE@LIVE 関西予選で決勝戦。復帰戦としては十分な結果だったと思う。

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準優勝という形で終わった私の挑戦。「あと一回勝てたら優勝だったのになあ。」と思う反面、自分と向き合いながら楽しく踊れているいまが本当に幸せだとも思う。今は完全に自分の中では未熟すぎてアマチュアダンサーだけど、自信もって自分はダンサーだ!って言えるようにまたこれからも、毎日小さな挑戦を続けていきたい。



🌿これからも精進いたします🌿