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「マイストーリーテラー」として。

私の人生は、「文章を書くこと」とともにあったと言っても過言ではない。


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最初に小説を書き始めたのは、小学2年生の時だった。ポムポムプリンやシナモンなどのサンリオキャラクターが描かれたB6サイズのノートに、空想の物語をぎっしり書き込んでいた。小学校高学年や中学生になると、おしゃれなデザインのノートに変わったけど、相変わらず物語を書く手は止まらない。ある物語は、ノート11冊分も続く大作となった。

友達から感想をもらうこともうれしかったけど、それ以上に書いていること自体が楽しかった。想像の世界を文章にして紙に落としこむことで、具現化されたような気がしていた。


物語を書くことが楽しくて、「これが仕事になったらいいな」と思うようになったのは中学3年生の時だった。父が毎晩遅くまで働いているのを間近で見てきて、漠然と「夜遅くまで働かないといけないなら、好きなことを仕事にしたい」と考えていた。父は家族のために遅くまで働いてくれていたのだけど、幼い私にそんな発想はなかった。

高校は、文武両道を誇るそこそこの進学校に推薦入試で合格した。面接の時、「小説家になりたいから、教養を身につけたい。いろんな人と関わって、いろんな経験をして、感性を養いたい」と言って驚かれたけど、夢を持ち、そのためにどうするか話せたことが好印象だったんだ今になって思う。

面接で宣言した通り、様々な経験をした高校生活だった。ノートに小説を書くのは一旦辞めて、携帯小説サイトを開設した。好きになった男の子を他の女の子にとられた。小説を書きたいからという理由で部活を辞めた。体育の授業をサボって友達とミスドに行った。小説家になるために勉強を頑張って、好成績を収め続けた。

第一志望には受からなかったけど、直木賞作家から文芸創作の指導を受けられる大学に進学した。自分の書いた小説を読んでもらって批評を受け、逆に他人の書いた小説を読んで批評をするのは、なんとも創造的で批判的で、とても刺激的な空間だった。

授業で小説を書く以外に、大学の入学広報を手伝っていて、高校生向けのリーフレットを制作していた。学部の友達やサークルのメンバー相手に取材・撮影をし、リアルな大学生活の様子を掲載。オープンキャンパスなどで多くの高校生(と保護者)に配られた。他にも受験生向け情報サイトにブログ記事を寄稿することもあった。業者さんに「玄川さんはプロ並みに文章がお上手ですね」と褒めてもらって、調子にのった。

その時、私は初めて「小説家」以外に文章を書く仕事があると知った。その仕事は、どうやら「ライター」というらしい。「ライター」を目指して、就職活動を始めた。


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大学を卒業して、最初に勤めた会社は教育系の広告代理店だった。制作に関する部署もあったけど、どういうわけか事務の仕事をする部署に配属になってしまい、「ライター」にはなれなかった。

やりたい仕事ができないことに、葛藤する毎日。ふくれあがる書くことへの思い。3年は続けなきゃと思っていたけれど、結局2年ちょっとで退職した。小説を書くために部活を辞めた高校2年生の自分から、何一つ成長していなかった。

退職して2ヶ月後、小さなデザイン事務所が私をライターとして雇ってくれた。いや、厳密に言うとライターではない。名刺に記されていた肩書きは「コピーライター」「ディレクター」だった。入学案内といった学校広報ツールを制作している事務所で、学生時代に高校生向けのリーフレットを作っていたこと、前職で教育業界の知識があることが内定の決め手になったらしい。そこから、ようやく「文章を書く仕事」のキャリアが始まった。


「文章を書く仕事」をする喜びや楽しさがあるにはあったけど、最初はプレッシャーを感じることのほうが多かった。

友達相手ではない、業界人相手の取材は緊張で毎回お腹が痛かったし、撮影現場でのディレクションも、カメラマンや現場の人に的確な指示ができるか、希望通りの写真が撮れるか不安でいっぱいだった。それに、自分の書いたもので本当に学校の魅力がアピールできているのか、もっと良い表現があるような気がして、いつも限界まで悩まされていた。

慣れてきたのは3年目に入ってからだった。楽しいとまではいかないけれど、経験則で乗り越えられることが増えて、これまで感じてきたプレッシャーや不安が減っていったのは確かだった。

しかし、同時に、私の書きたいものがコレジャナイと思うことも増えていった。


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実際に「ライター」の仕事をしてみて思うのは、ライターは「自分以外の何かを書く」側面が大きい仕事だということだ。たとえば、私がしてきた学校広報ツールを作る仕事は、「学校」という「商品・サービス」のことを書いている。

noteやTwitterで「ライター」と名乗っている人の多くも、そうだ。「書きました!」とネットで宣伝している文章は、新サービスの紹介だったり、誰かのインタビューだったりすることが多い(中には、そのライターさんの主観が求められているケースもある)。

「自分以外の何か」を書く仕事は、とてつもなく難しいし、責任が伴う。たぶん、そこにはある種の正解とされるノウハウがある。だから、ありとあらゆるところで「ライター講座」なるものが開催されているのだ。そこには、「自分以外の何か」――クライアントの商品・サービスを広げたい、もっと良いインタビューをして、その人の良さを広めたいといった――を書くことを極めたい人が集まっている。その技術を極めるためには、きっとそれだけに集中して生きていく必要があるに違いない。他のことをやりながら極められるほど、文章の世界は甘くない。

だけど私は、noteで書いているような「自分語り」をすることが好きだった。「自分以外の何か」を書くことよりも、これまでの経験や私がどう思っているかといったことが書きたかった。正直、「自分以外の何か」を書くことより、「自分」を書くことを極めたいという気持ちがあった。

ライターの仕事をしている中で、そんな思いがあふれ出してきて、「ライター」と名乗ることを辞めた。

ライターとしての私に興味を持ってくれていた人もいるだろうから、プロフィールから「ライター」の文言を削除するのは勇気がいた。でも、noteやTwitterでお見かけするライターさんと同じような思いで、もう文章を書くことができない。私にとってライターは憧れの職業だったからこそ、こんな生半可な気持ちで名乗ることはできなかった。

ずっとずっとライターの肩書きがほしかったけど、私はもう、「ライター」ではいられない。


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ライターと名乗るのを辞めてから、「じゃあ一体、自分は何者なんだろう?」「これから私はどうしたいんだろう?」とよく考えるようになった。

noteで文章を書いている人の多くは、ライターかエッセイストと名乗っている人が多い気がする。……エッセイストかあ、おしゃれだなあ、じゃあ私も……――エッセイストと名乗る自分を想像して、秒でちがうなと思った。

私は、自分の書いているものをエッセイだと思ったことがない。ジャンルとして確立されているエッセイという崇高なものより、ちょっと卑下した匂いのする「自分語り」という単語のほうがしっくりくる。揶揄に使われることの多い言葉だけど、単純に「自分語り」というワードが好きなのかもしれない。何より、書き手として未熟である私が「エッセイスト」を名乗るなんて、烏滸がましい気がしてならない。


これから自分が何をしていきたいかぼんやり考えた時に、やっぱり自分語りがしたいし、もっと自分語りをする人が増えたらいいなと思った。

私がネットで自分語りをするのは、現実世界だとできないからなのかもしれない。私は率先して自分のことを話すタイプではないし、自分の話をするのは家族や親しい友達といった限られた人だけで、それでも「そんなことがあったんだったら、なんでもっと早く言ってくれないの?」と呆れられることがある。それくらい、自分のことを話すのが苦手だ。

「自分語り」が鬱陶しいものとして否定的に使われていることはわかっているけど、インターネットの中で自分語りをすることは悪いことではないように思う。だって、読みたくなければ読まないことができるから。現実世界で目の前の人に自分語りを延々と聞かされるのはしんどいけど、インターネットの世界では、嫌ならいつだって本人にバレずに離脱ができるのだ。

現実世界で思うように自分の話が出来ない人が、インターネットの中で心置きなく自分語りができるようになったらいい。その自分語りを通して、誰かに「共感しました」とか「その考え方好きです」って言ってもらえたら、それってすごく素敵なことなんじゃないだろうか。


インターネットには、「読まれる文章を書くには」という記事が山ほど転がっているけれど、その多くには「お役立ち情報を書きましょう」と書いてある。なぜなら「自分語りはつまらないし、役に立たない」から。「読んでもらうためには、まず自分から読者にGIVEしましょう」ということらしい。

言っていることはわかるけど、でも、「お役立ち情報」はすでに書き尽くされているように思う。私が書かなくても、誰か他の人がもう書いているのだ。それに、すでに誰かが書いているものをわざわざもう一度自分の手で書きたいとも思わないし。そうなったら、自分のことしか書くことなくない? SNSで誰もが発信できるこの時代は、もう「一億総自分語り時代」なんだよ。

それに、情報発信がしたいから文章を書いているんじゃない。私は、自分語りがしたいから文章を書いているのだ。


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私は今日から、「ライター」じゃなくて「マイストーリーテラー」と名乗ろうと思う。「マイストーリーテラー」とは「自分語りをする人」のことだ。……うーん、変かなあ? 私は結構気に入ってるんだけど。「自分語り作家」とか「ジブンガタリスト」よりは良いかなって思っている。

今日、11月3日(文化の日)は私の29歳の誕生日。新しいことを始めるのにふさわしい気がして、名乗り始めるならこの日がいいと、今日このnoteを公開することにした。私はもっと、自分語りをすることに堂々としていたいし、肯定していきたいのだ。自分語りを極めて、もっと上手く書けるようになりたいし、その姿を見て「私も自分語りしたい!」って思ってくれる人がいたら、こんなに嬉しいことはない。


私は、「自分語りは読まれない」なんて思わない。だって、十分に読んでもらってきた実感があるから。この4年半、私はnoteでずっと自分語りをしてきた。カッコイイ話もしたけど、情けない話もしたし、悩みを打ち明ける心許ない文章も書いた。人物の特定を避けるために濁した表現もあったけど、そこに書かれている私の気持ちは、どれも本当。ここにだけは、嘘を書かないって決めた。

そんな私の「本当」に、共感してくれて、応援してくれる読者さんが少しずつ増えてきたことを、最近深く感じている。特に「阿紀さんの自分語りが好きなんですよね」「私も阿紀さんみたいに自分語りがしたいんです」と言ってくれる人が増えたのは、体温が上がるほどうれしくて、私の活動の自信になった。


「ライター」と名乗っている時だってずっと自分語りをしてきたし、肩書きが変わろうとこれから私がしていくことはこれまでとなんら変わらない。肩書きなんてあってもなくてもよくて、オリジナルの何かを作ってまで名乗りたいのは、きっとそうしたほうが何者かになった気がして、安心するからなんだと思う。

でも、他の誰かと違う肩書きを持つことで、私は自由になれたような気がしている。良しとされる「ライター像」を追いかけなくてもいいし、SNSで活躍している誰かと比べる必要もなくなったから。これから、自分だけの道を開拓していけることに、ドキドキもしているけれど、ワクワクもしているのだ。


今日から、私は「マイストーリーテラー」。
「自分語りをする人」になりました。


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