演劇をやめて見えてきたもの ~ 30歳になった地方演劇人の演劇に対する心境2
2020年2月の公演を最後に演劇を一時的にやめたことになる。
それで、いくつかの変化があった。
1.観劇にいかなくなった
そもそも、上演される舞台が極端に減った。
体感的には、半減どころか2割くらいになったんじゃないかと思う。
舞台の客席で新型コロナウイルスに感染することは、感染対策がまともに行われていれば可能性は低いと思う。(ルールを無視した東京の団体でクラスターが出たりはした。)
だが、外に出ることにはやはり少し抵抗があった。そして一度行かなくなると、行かないことが普通になってしまった。というのも、演劇人以外の人は驚かれるかもしれないが、演劇人のけっこう多くが「舞台を見に行くのが普通」という感覚を持っている。僕は二十歳のころは恐らく年80本くらいは観てたと思う。最近は減ったと感じているが、それでも30~40本くらいは観ている。
なので、この「舞台を観に行かないことが普通」という感覚になってしまったのは、けっこう大きな変化だと思う。2020年は恐らく、5本くらいしか観ていない。
2.地方演劇の立ち位置を直感した
「市民にとって地方演劇はどういうポジションなのか」について、なんというか、論理的にどうとか、誰かに何かを言われたとかでもなく、なぜか直感的に理解した。恐らくいったん演劇から距離を置いたからだと思われる。
たとえば地方のテレビCM。
あれってなぜか直感的に「これは地方のCMだな」ってわからないだろうか。
全国区のCMと地方のCMって、なぜかよくわからないけど歴然とした差を感じないだろうか。
でまあ、ここからは同業の方に文句を言われるかもしれないので申し訳ないんだけど……
全国区のミュージシャンと地方のミュージシャンってなにか差を感じないだろうか?
あるいは、全国区の芸人と地方の芸人ってなにか差を感じないだろうか?
でまあ、これは当たり前の話だけど
たとえば全国でトップ10のミュージシャンと、札幌でトップ10のミュージシャンを集めたとして、どう考えても全国のトップ10の人たちの方がレベル高いはずだ。(分母が違うので当たり前の話)
ということは、私たち演劇人も全く同じことを思われているはずだと気づいてしまったわけだ。そしてその結果がこれ。
「劇団四季は観に行くけど、それ以外は行かない。だって地方レベルでしょ?」
まあ以前だったら「てめえ舐めんなよぶっ飛ばすぞ」とか思ってたわけだけど、多くの人は仕事をしてその空いた時間を意義のあることに使いたいわけだから、面白いか面白くないのかよくわからん地方の演劇など、はなから選択肢にないか、あっても優先順位がかなり低いわけだ。
なぜなら、書店に行けば全国レベルの小説家の本があり、映画館に言えば全国レベル(もっと言えば世界レベル)の映画を観ることができ、お金がなければyoutubeで全国レベル・世界レベルの音楽に触れることができるから。
ということは、地方演劇の優先順位をあげてもらうためには、それら全国レベルの小説、映画や音楽などなどに匹敵するなにかを作る必要があるわけだ。
3.どうやって優先順位をあげてもらうか考えた
ちょっとCMについて考えてみてほしいのだけど、
なんで全国区のCMと地方のCMは、あんなに差があるのだろうか。
ひとつはシンプルに資金の差だ。
1億円のCMと、50万円のCMでは圧倒的にできることが違う。
もうひとつがノウハウの差だ。
大手の業者は積み重ねられた圧倒的なノウハウがあるから、
基礎がなってないとか映像のクオリティが低いみたいなことは基本的に起こらない。
で、これは演劇にも同じことがいえるだろう。
資金面で言えば、地方の劇団が1億円規模で公演を行うことは無理だ。
断言する。無理。
単独公演なら、恐らくがんばっても200万~300万くらいだと思う。
札幌演劇シーズンというイベントの力を借りれば、場合によっては1000万規模はありうる。
が、そこが限度だ。
私たちには、どうあがいても劇団四季のようなゴージャスさを出す資金はない。
ではノウハウはどうだろうか?
一見なんとかなりそうな気はするが、
実際はまあまあ厳しい。
というのも、地方に長く存続する団体はあるかもしれないが、
時代に合わせてアップデートされてるところはかなり稀だろう。
まあアップデートされてなくても、
「能や歌舞伎のように、私たちのやり方はいつの時代になっても素晴らしいのだ。」
という考え方は当然ありうるが、
この2021年に、1990年代レベルの技術の映画をみせられたら、
たぶん「時代遅れだなぁ」と思ってしまうので、
過信してはいけないだろうなぁと思う。
まあしかしノウハウは勉強してある程度は手に入れることができるものだから、資金ほどは絶望的ではないかもしれない。
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