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205号室に暮らした 春編

#大陸の風


鶴田さんがいなくなってしばらくして、中国からの留学生らしき人が引っ越してきた。大学も近いし、そもそもこのアパートは大学生協で斡旋している物件な訳だから、なんら不思議なことでもない。朝晩と大らかな異国語が聞こえるようになり、友人らしき人も多く訪ねてきて、週末にはにぎやかな場が開けた。玄関先にはキャベツが山積みになって、窓にはカーテンがない。部屋の前を通るたび、そこだけ大陸の風が吹くような、不思議な感じを覚えた。

文字通りの学生街で、近くのアパートからも週末になると同じように騒ぐ若者の声があった訳だが、何故か異国語で展開されるそれは不快感がなく、夏の冷めやらぬ宵の中に溶けて、時折響く歌声でさえ遠い国を彷彿とさせた。

もちろんこれは、異国語を単なる音として捉えていることによって生じている感覚に違いなかった。何を話しているのか分かってしまえば興ざめしたかもしれないし、いずれ雑音になってしまうのかもしれなかった。夏の夜、開け放った窓から聞こえる言葉は、その特有のリズムと四声によって違う世界を出現させていた。ふいにもたらされたそれは、文化の違いなどという枠を超えるような、重層的な世界にも思えた。面々と受け継がれてきたもの、そして移動するもの。ふいに出会い、立ち現れるもの。

時に周りの住人を驚かせることもあった。駐車場に屈みこんで何やら作業をしていると思ったら、中華包丁で大きな豚の塊を一刀両断していた時には度肝を抜かれてしまった。通りすがりの小学生があんぐり口を開けていたのを覚えている。いくら敷地内でも、外で動物の肉を切るということがもう日本の日常風景としては存在しない訳だから、驚くのも当然なのだが、しかし、ほんの昔までは畑の広がる道々に鶏の声が響き、それは食用として主人に捌かれることもあっただろう。スーパーマーケットに並ぶ頃には、動物が死ぬ場面がすっかり抜け落ちたようにして、台所と生き物の関係が書かれた書物ももう、昭和の本棚に眠ってしまったように思うことがある。

階下に住んでいるのに、彼らは遠くの住人だった。なぜ交わりがなかったのだろう。挨拶くらいはしただろうか。それすらも記憶がない。近づいたら、違いをそのまま受け入れることが出来ずに、どこかで同化させようという心理が働く気がして、体の中に唯々燻っているものの存在を感じながら、私は学生生活を送り続けた。開けっ放しの窓を覗き込んでしまった時、出しっ放しの卵とその奥に広がる窓の外の景色に一筋の風が吹くのを見ていた。ただの駐車場と、続く空き地が、大陸の景色につながっているような、不思議な窓だった。

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