見出し画像

米津玄師『パプリカ』の本当の意味

東京オリンピックのNHK公式テーマソング『パプリカ』という歌があります。

幼稚園児のダンス音楽としてめちゃめちゃ流行っているので、どこかで聞いた方も多いのではないでしょうか?

実は僕、今日初めてパプリカをフルでちゃんと聴いたのですが、そしてその時に強烈な違和感を感じたのです。

その後、どうしてもその歌の意味を掘らなければいけないような気がして、4時間ほど歌詞と向き合っていました。

そしてわかりました。
もうとにかく自分でも止められなくなるほど掘れば掘るほど意味が出てくる奥深い曲だったんです。

今からここに書くのは完全に個人の解釈によるもので言ってみれば僕の妄想です。
なのでそういう読み方もできるよねと言う程度でお楽しみ下さい。

先に結論を書いておきます。
僕が見つけたこの曲の裏ストーリーは、「少年が友達を亡くした悲しみと折り合いをつけ、未来へ向かって歩き出す歌」です。

なぜそうなるのか、順をおって説明させてください。

まずはパプリカの歌詞全文を引用させてもらいます。

ーーーー以下引用ーーーー

【Aメロ】
曲がりくねり はしゃいだ道
青葉の森で駆け回る
遊びまわり 日差しの街
誰かが呼んでいる
【Bメロ】
夏が来る 影が立つ あなたに会いたい
見つけたのはいちばん星
明日も晴れるかな
【サビ】
パプリカ 花が咲いたら
晴れた空に種を蒔こう
ハレルヤ 夢を描いたなら
心遊ばせあなたにとどけ
【Aメロ】
雨に燻り 月は陰り
木陰で泣いてたのは誰
一人一人 慰めるように
誰かが呼んでいる
【Bメロ】
喜びを数えたら あなたでいっぱい
帰り道を照らしたのは
思い出のかげぼうし
【サビ】
パプリカ 花が咲いたら
晴れた空に種を蒔こう
ハレルヤ 夢を描いたなら
心遊ばせあなたにとどけ
【Cメロ】
会いにいくよ 並木を抜けて
歌を歌って
手にはいっぱいの 花を抱えて
らるらりら
【サビ】
パプリカ 花が咲いたら
晴れた空に種を蒔こう
ハレルヤ 夢を描いたなら
心遊ばせあなたにとどけ
かかと弾ませこの指とまれ

パプリカの公式動画

ーーーー引用終わりーーーー

別タブで開くためのリンクも貼っておきます。


パプリカの歌詞解釈

ではAメロから順番に説明させていただきます。

曲がりくねり はしゃいだ道
青葉の森で駆け回る
遊びまわり 日差しの街
誰かが呼んでいる

Aメロ全体の意味
→主人公が少年から、青年になろうとしている

なぜそう言えるのか説明します。
まずAメロの歌詞全体を通して、誰もが共感できるようなノスタルジックな情景を描いていますが、よく見るとあちこちにヒントがあるように僕には見えました。

はしゃいだ道
→子供時代までの人生を表します。

青葉の森
→少年期が終わり、青年期に差し掛かったころ

青葉とは辞書的には「若葉の次に生える葉」つまり春の終わりから夏の始まりにあるものです。「目には青葉、山ホトトギス、初鰹」という有名な俳句がありますが、これは全て初夏の風物詩を並べています。

すなわち「青葉の森」とは「初夏の森」であり、それを人生に当てはめると「人生の春が終わり、夏に差し掛かった頃」言い換えれば「少年期が終わり、青年期に差し掛かった頃」と読み解くことができます。


日差しの
→夏の気配が濃くなった(青年らしさが増した)


→人がたくさんいる(色々な世界を知るようになった)

誰かが呼んでいる
→人に呼ばれる時はある程度輪の中に入った時。つまり青年のコミュニティに入り始めている

まとめると「曲がりくねったはしゃいだ道」である少年期が終わり、「青葉の森」や「日差しの街」である青年期に入り始めたことがわかります。


そしてBメロ

夏が来る 影が立つ あなたに会いたい
見つけたのはいちばん星
明日も晴れるかな

Bメロ全体の意味
→夏が来ると亡くなったあなたを思い出し、どうか安らかであってほしいと願ってしまう

なぜそうなるか説明します。

夏が来る
→この夏は「青年期」と「季節の夏」の2つの意味があります。
青年期は先ほどの説明の通り。そしてここで注目したいのが「季節の夏」です。
日本の夏のイベントといえば何でしょう?そうお盆ですね。あの世とこの世が重なる期間です。
つまりこの分の意味は「あの世が近くなる」となります。

影が立つ あなたに会いたい
→影は「光と影」というように二項対立の暗い部分を意味するもの。ここでは、この世に対してのあの世を表します。そして夏は太陽の光も生命の力も強まる季節です。
つまり影が立つとは「光が強くなったことによって、あの世の輪郭が強く浮かび上がってきた」という意味になります。

では次の「あなたに会いたい」ですが、これは誰に会いたいのでしょう?

「あの世が近くなる」季節に
「あの世の輪郭が強く浮かび上がる」季節に
「会いたくなる」人とは誰でしょう?

僕はここで「亡くなった友達」と結論づけました。

見つけたのはいちばん星
→あなたは亡くなってしまった
そしてBメロはまだ続きます。
「亡くなった友達に会いたい」と歌った後に続くのは何か?

「見つけたのはいちばん星」です。
子供に亡くなった人のことを説明する時なんと言います?
もうズバリですよね。「お星様になる」っていいますよね。

明日も晴れるかな
→あなたが安らかであることを願う

「お星様になったあなた」の居場所である空が、曇ることも雨が降ることもなく晴れることを願う。つまり魂よ安らかなれという意味に取れます。


さあいよいよサビにいきましょう。

パプリカ 花が咲いたら
晴れた空に種を蒔こう
ハレルヤ 夢を描いたなら
心遊ばせあなたにとどけ

サビ全体の意味
→亡くなったあなたを想い、感謝を伝えたい。けれど僕は未来に向かって歩いていく。

なぜそうなるか説明します。

パプリカ 花が咲いたら
→夏になったら
実際にパプリカの花が咲くのは夏、6月7月8月ごろです。

晴れた空に種を蒔こう
→あなたのことを想いながら、それでも未来へ向かって歩き出そう

「晴れた空」は先ほど解釈に基づいて「亡くなった友達の魂が安らかであること」を表します。
「種を蒔く」は未来へ向かって行動すること。
つまり「あなたの事は忘れないけれど、僕は未来へ歩き出す」と言っているのです。

ハレルヤ
→あなたへ感謝を

ハレルヤはもともとキリスト教で神を讃える、あるいは神に感謝する言葉。
日本的な宗教観では亡くなった人は神様にもなります。
つまりここでは「亡くなって神様になったあなたに感謝を伝えたい」を意味しています。

夢を描いたなら 心遊ばせあなたにとどけ
→僕は未来に向けて歩き出す。でもあなたの事は忘れない

「夢を描く」は未来へ心を向ける事。自分の気持ちが未来を向き始めていることを表しています。
「心遊ばせあなたにとどけ」では「それでもそんな気持ちや描いた夢を、あなたに話したいんだよ」というという意味になります。
「未来に向かう事は決してあなたを忘れることではない」とすることで気持ちの折り合いをつけようとしているのです。

一番のまとめ
→主人公が少年から、青年になろうとしている
→夏が来ると亡くなったあなたを思い出し、どうか安らかであってほしいと願ってしまう
→亡くなったあなたを想い、感謝を伝えたい。けれど僕は未来を思い描き、未来に向かって歩いていく


そして2番にうつりましょう

雨に燻り 月は陰り
木陰で泣いてたのは誰
一人一人 慰めるように
誰かが呼んでいる

2番Aメロ全体の意味
→あなたが亡くなったショックで、僕は生きる気力を失った

なぜそうなるか説明します。

雨に燻り 月は陰り 木陰で泣いてたのは誰
→あなたが亡くなってショックだった

ここの部分は普通に聞いても陰鬱な印象を持つのではないでしょうか?
ここの歌詞が心象風景を表すのだとしたら雨は降っているし夜で月は陰っているしもう真っ暗です。そんな時に木陰で泣いていたらもう死ぬほど心細いでしょう。

一人一人 慰めるように 誰かが呼んでいる
→君のいる世界(あの世)に行こうかとも考えた

そんな状況で誰かの呼び声がしたならそれはあの世からの呼び声です。「こっちへおいで」と聞こえてしまったのでしょう。

しかし次のBメロで状況は変わります。

喜びを数えたら あなたでいっぱい
帰り道を照らしたのは
思い出のかげぼうし

2番Bメロ全体の意味
→だけどあなたの思い出が僕を励まし、生きる力をくれた

なぜそうなるか説明します。

喜びを数えたら あなたでいっぱい
→あなたとの思い出が僕を励ましてくれた

ここは歌詞のイメージそのままの意味ですね。いい思い出を浮かべてみたら「あなた」との思い出ばかりだったのでしょう。

帰り道を照らしたのは 思い出のかげぼうし
→あなたの思い出が生きる力をくれた

「帰り道」とは先ほどの「木陰」から今いる場所までの道の事。つまり「この世に帰ってくる道」
あなたを亡くしたショックで生きる気力を失い、声が聞こえるくらいあの世に近いところまで行ってしまったけれど、あなたの思い出が僕をこの世に引き戻してくれた。という意味が読み取れます。
ここで見て欲しいのは、それでもその帰る道を照らしたのは「思い出のかげぼうし」であること。かげぼうしとはつまり人の影。Aメロの解釈でも出てきましたが「影」は死を表し、人の影は「亡くなった人」を表します。
つまり僕をこの世に引き戻してくれたのは「思い出の中にいる亡くなった人」なのです。

2番サビはAメロの繰り返しなので省略します。
続いて説明したいのがCメロの歌詞。

会いにいくよ 並木を抜けて
歌を歌って
手にはいっぱいの 花を抱えて
らるらりら

Cメロ全体の意味
→あなたにきちんと別れの挨拶をしよう

なぜそうなるか説明します。

会いにいくよ 並木を抜けて
歌を歌って 手にはいっぱいの花を抱えて

→お墓まりをするよ

イメージしてみて欲しいのですが、
・手にいっぱいの花を抱えて
・歌を歌いながら
・並木を抜けて
・誰かに会いにいく
これはどんな状況でしょうか?

僕はこんな状況はプロポーズかお墓まいり以外にないと思います。
歌の流れとしてプロポーズはありえないでしょう。
そしてお墓まいりとは故人に挨拶や何かしらの報告がある時にいくもの。ここでは「僕は未来に向かう」という報告をするという意味だと思っています。

そして最後、サビの繰り返し。そのあとのフレーズについて

パプリカ 花が咲いたら
晴れた空に種を蒔こう
ハレルヤ 夢を描いたなら
心遊ばせあなたにとどけ
かかと弾ませこの指とまれ

最後のサビの意味
→亡くなったあなたを忘れない。けれど僕は未来を生きる。
最後のサビで他と唯一違うのは「かかと弾ませこの指とまれ」の部分です。
それ以外の部分が「あなたへの感謝」と「未来へ歩き出す」を意味する事はもう書きましたが、この「かかと弾ませこの指とまれ」は未来への歩みをさらに進めて、そこで生きる決意を表明しています。

なぜなら「かかとを弾ませる」という事はやや駆け足気味に歩いているという事であり、「この指とまれ」は仲間を集めることを意味します。
つまり「未来へ向かって駆け足気味に歩き出し、その先で僕は仲間を見つける(君以外の友達をつくる)」という未来でいきていく事の決意表明と取れるのです。

よってこれまでの話をまとめると『パプリカ』は「少年が友達を亡くした悲しみと折り合いをつけ、未来へ向かって歩き出す歌」となるのです。


「パプリカ」というタイトルの意味

これまで読み解いてきた歌の意味を踏まえて「パプリカ」というタイトルをもう一度見てみると、ある仮説が浮かびます。
パプリカはピーマンと近しい植物です。同じナス科トウガラシ属で、栽培方法なども似通っています。そしてピーマンといえば、お盆にナス、きゅうりなどと共にご先祖様にお供えする野菜です。
(ピーマンは違うだろという方はこちらをご覧ください)
ピーマンを「亡くなった人を想う野菜」と意味づけするならば、それと近しいけれど別のものであるパプリカにはどういった意味を見いだせるでしょうか。

「ピーマンに似ているけれど違う野菜」に「あなたを忘れはしないけれど、未来へ歩き出した僕」を見る事はできないでしょうか?

そう思いながら歌を聞けば、違った意味合いを感じ取れると思います。


ここまで読んでいただきありがとうございました。
この解釈があったからといって何がどうという訳ではありません。
ただどうしても、誰かに伝えずにはいられなかったのです。

この記事によって、あなたの日常の色が少しでも変われば、ぼくにとって最高の喜びです。

いつもありがとうございます! スキを押してもらうと、最近僕がハマっている「偉人の失敗談」がランダムで紹介されます。