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乱世に向いてる人、向いてない人


「コロナウイルスの影響で町中がシャッターしまってたりして世界の終わりみたい。気が滅入ってまうわ」

どうもアキヒトです。

ワーキングホリデーでバンクバーに滞在している友達がいるのですが、先日その人と電話していたら冒頭のセリフが出てきました。

そこで思ったんですけど、同じような心理になっている人が結構いるみたいですね。
僕の兄や親も「コロナが大変」「もうすぐ不況がくる」「どうしようどうしよう」ということをしきりに言って不安がっています。

ただ不思議なのが、そんな人たちに囲まれているにも関わらず、僕は全然不安を感じないんです。

んで、「なんでかなー?」と思った時に「これじゃない?」と思える答えが見つかったので書いておきます。

動乱に向いている人と向いていない人がいる

答えをざっくり書くと「これからくるのは動乱の時代で、動乱の時代には向いている人と向いていない人がいるから」ってことです。

これだけだとなんのこっちゃだと思うので詳しく説明します。

『天才を殺す凡人』というめちゃんこ面白いビジネス書がありまして、その本の中では人間を3種類に分けているのですね。

どう分けてるかというと、天才、秀才、凡人、で分けています。

そしてここは大事なポイントなのですが、この3種類を分けるのは「能力値」とか「頭の良さ」ではないんです。何かと言うと「判断基準」で分けているんですね。

「何をもって良い悪いを判断するか」「価値があるかないかをどこで判断するか」の基準がそれぞれ違うとされてます。

天才=「創造性」で判断する
秀才=「再現性」で判断する
凡人=「共感性」で判断する

ていう感じです。

何かがあって、それの価値を判断しなきゃいけない時、

「それって今までにない?新しい?」で判断するのが天才。

「それってロジックが通ってる?ルールに合ってる?」で判断するのが秀才。

「それってみんなはどう思ってる?自分やみんなは共感できる?」で判断するのが凡人です。

それでですね、この本読んだ上で自分を振り返ると、この記事を書いている僕は天才なんですね。

その証拠とかはこちらの記事とかを参照してください。
「新しいかどうかで判断する」っていうのは当たり前すぎて、大人になるまで他人はそうじゃないって気づかなかったです。

天才は動乱の時代に向いている

話が長くなってるので進めちゃいます。

この天才、秀才、凡人、の3種類の人がいるとしたら、混迷の時代や動乱の時代に一番向いているのは天才だと思うんです。

「天才なんだから当たり前だろ!」とか言われそうですが、一応ロジックがあります。

上に書いたように天才は「創造性」でものを判断するんですね。新しい世界や新しい物、新しい領域に心惹かれるのが天才なのです。

そして動乱の時代とは、社会システムが揺れ動く時代といえます。

今日の常識が明日変わるかもしれない。今日の王様は明日は平民かもしれない。
太平の時代に社会を支えていた、鉄筋コンクリートの鉄骨のようなルールや常識。それらが揺らぐのが動乱の時代というものです。

例をあげると、三国志の時代や日本の戦国時代に、漢王朝や室町幕府が名ばかりになった感じですね。

ほんでだからこそ、「動乱の時代は天才にとって居心地が良い」のではないかと思うのです。

変化しやすい時代だからこそ、創造性が発揮しやすくなる。新しいものや未知のものを実現しやすくなる。今までにないものに触れる機会が多くなる。

戦国時代の火縄銃や長槍のように、新しいことを試す価値が高くなる。

それは天才にとっては、平穏な時代よりも生きやすいと思うのです。

あまり声高にいうと不謹慎に取られるのですが、僕が不安を感じずにいるのはこれが理由なんじゃないかなと思います。

というわけで僕は令和の曹操や松永久秀を目指します。
ここまで読んでいただいてありがとうございました。

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