男らしさ、女らしさより自分らしさ?
先日発表された横浜市の意識調査によれば、「男は男らしく、女は女らしく」といった性別規範へのこだわりは女性より男性の方がより強固であり、「男らしく・女らしく育てるべきだ」という性別役割意識についての設問では、肯定的な回答が男性の中で最も割合が低かった18~29歳でも45・4%に上り、同年代の女性と2倍以上の差があったといいます。
また、国立国際医療研究センターや東京大などの研究チームがまとめた論文によると、コロナ禍の前後の思春期の子どもの抑うつ症状は女子よりも男子の方が悪化の度合いが大きく、男子は学校での活動で人間関係を築く傾向があり、コロナ禍で部活などの自粛が続いた影響や、「有害な男らしさ」の社会規範によって周囲に相談しづらい風潮などが指摘されています。
肌感覚で思うのは、若い世代ほど従来の「男らしさ、女らしさ」へのこだわりは少ないということです。女子が平気でメンズカットをしたり、男子がメイクするのが当たり前になったというファッションの傾向だけでなく、「デートでは男子がおごるのが当たり前」という発想への違和感や抵抗感は、男女を問わず若い世代ほど広まっていると感じます。
だから、「男らしさ、女らしさ」への呪縛は若い世代ほど薄まっているのは間違いないと思いますが、その理由が「有害な男らしさ」からきているかといえば、因果関係は微妙かもしれません。「有害な男らしさ」にしたところで、それへのとらわれは年代が高いほど強く、年代が低くなるほど弱まるのが一般的です。
呪縛自体は弱まっているけれども、メンタルの弱さがそれを過剰に意識させているという仮説もなくはないですが、やはり物事は複合的であり、相当さまざまな要素が入り組んでいるのが実際でしょう。
ひとつ考えられるのは、「男らしさ、女らしさ」の規範自体はまあまあ揺らぎつつあるけれども、それをしのぐだけの「自分らしさ」が持てなかったり、発揮できなかったりすることで、結果的に従前のような呪縛におかれているように外見上はみえてしまうのではという仮説です。
『いい子症候群の若者たち』でもリアルに指摘されているように、今の若者(Z世代)は、他人の前で叱られるのが嫌なだけでなく、他人の前で褒められることも毛嫌いします。周囲への気遣いや同調、友情の表現、横のつながりへの愛着は、今までのどの世代よりも強固であり、器用に立ち居振る舞いができる人たちだといえます。
そうすると、やはり強固な「自分らしさ」はなかなか持てないし、内に秘めていても、そうそう外に向けて表現したり行動したりは難しい。結果、「男らしさ、女らしさ」へのとらわれはそこまで強くなくても、「自分らしさ」のアピールがあまりできない分、外から見ると、おとなしくおしとやかで、あまり今までと変化していないように感じるのかもしれません。
あえて極端な例を考えると、
といった感じのイメージが成り立っているのかもしれません。
「≦」や「≧」はきわめて可変的なので、右辺が70、左辺が30、あるいは右辺が30、左辺が70といった極端な格差があったとしても、必ずしも70の方が相対的に大きな値となるとは限らず、等号で結ばれるどころか、ダイナミックなシーソーの結果、30の方が比重を占めることもあるのです。
ちょっと飛躍すぎる例ですが、「有害な男らしさ」の議論ばかりでは必ずしもものごとは前進していかないと感じるもやもやを、あえて誇張をおそれず誤解を覚悟で絵にしてみました。「≦」や「≧」といったある種の“装置”の存在、個人的にはとても興味深々な今日この頃です。
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学生時代に初めて時事についてコラムを書き、現在のジェンダー、男らしさ・女らしさ、ファッションなどのテーマについて、キャリア、法律、社会、文化、歴史などの視点から、週一ペースで気軽に執筆しています。キャリコンやライターとしても活動中。よろしければサポートをお願いします。