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ジェンダーギャップと幸福度の矛盾。

日本はジェンダーギャップが大きい国とされています。

3月30日に発表された「ジェンダーギャップ指数」(世界経済フォーラム)でも日本は120位に位置づけられており、先進国の中では最も低い順位です。

就職や進学をめぐる“女性差別”がなかなか解消されず、しばしば著名人の発言が問題となるなど、ジェンダーをめぐる意識はいまだ低いといわれています。

「日常の悩みとジェンダーギャップの関連性調査」(株式会社Insight Tech、株式会社SHeStands)では、「異性をうらやましいと感じたことがあるか」という質問に対して、「異性がうらやましい」と回答した女性は約9割、男性は約6割とされています。

「日頃の不安や悩み」についての質問でも、女性は「家事の負担」や「育児や子育て」などの項目で高い集計結果が出ており、女性の持つ負担感や不満が高いことが示されています。



一方で若い世代を取り巻くジェンダー意識には明らかな変化が見られてきており、男女の区別はファッションや恋愛といった場面でしか感じないとか、分野によっては女性リーダーが活躍できる道が開かれつつあるといった声も聞かれます。

恋愛や結婚市場においては、人口構成や社会が求める恋愛観の違いから、男性よりも相対的に女性の方が優位な立場に立つことが多いといわれますが、社会的・経済的地位においては圧倒的に男性が重要なポジションを占めることが多いことから、若年期・適齢期における限定的な現象だととらえる向きも強いです。



それでは、昨今のジェンダー意識の変化はあくまでジェネレーションギャップに基づく一過的な現象だと片づけられるのでしょうか?

ジェンダー平等をめぐる意識について調査している「ジェンダー不平等指数」(国連開発計画「人間開発報告書」)では日本は24位に位置づけられており、必ずしも「ジェンダーギャップ指数」のような“ジェンダー平等後進国”の結果ではありません。

世界経済フォーラムの「ジェンダーギャップ指数」は新聞各紙に大きく報道されるのに、国連の「ジェンダー不平等指数」はあまり目立った記事にならないのが不思議ですが、後者では日本は米国や英国よりも上位に位置づけられています。

調査項目としては、「ジェンダーギャップ指数」が政治参加や経済社会におけるポジションをめぐる分野の項目が多いのに対して、「ジェンダー不平等指数」は出生率や健康寿命といった日常生活をめぐる項目が多いといった違いがあります。

調査の対象や方法も異なるため単純比較することは難しいものの、前者が社会的に一定以上のポジションを占める層を中心にターゲットにした調査であるのに対して、後者はどちらかといえば老若男女に関わらず広く生活者をターゲットに見据えているといえるかもしれません。



以下は世界価値観調査における「幸福度の男女差の推移」ですが、日本においては全体として幸福度は高まる傾向にあるものの、一貫して女性が男性を大きく上回っており、基本的にはその差が縮まる傾向にはありません。

また、「女マイナス男」で導かれる幸福度における女性の優位性を示す指標は、過去30年に渡ってほぼ6~8%の水準を維持しており、この統計をみるかぎりでは日本は「女性の幸福度がかなり高い国」だといえます。

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かたやジェンダーギャップが解消しない女性差別が根強い国だといわれながら、一方では女性の幸福度が男性よりも圧倒的に高いとされる日本。

これは基本的には特定の世代に偏ってみられる傾向というよりは、現在の日本社会の状況をある程度象徴的に物語っている姿だといえるのかもしれません。


日本においては市民として日常生活を送る上では、かつてのような女性差別は基本的に解消しつつあります。選挙権はもとより婚姻や相続をめぐる法規範においては、あまりにも当然のことながら男女平等が実現しています。

ハラスメントをめぐる問題においては女性が被害にあう傾向が強いといえますが、セクハラやパワハラを防止するための対策や法整備も徐々に進みつつあり、少なくともそれを解消、撲滅させるための社会的な意識は急速に高まっています。



一方で、男性が「一家の大黒柱」として家庭において主たる稼得能力を担うべきだという昭和的な感覚は、基本的には今なお多くの人の意識の底流にあり、事情を問わず「働かない男」に対する社会的な風当りは深刻化しがちです。

「女性は家庭責任を果たすべき」という風潮については、男性と同じように経済社会の中で上昇志向を持って活躍したいと考える女性にとっては度し難い差別と受け止められるものの、結婚したら専業主婦になりたいと希望する人にとっては必ずしも差別であるともいえず、むしろそれが女性のあり方だと積極的に受容するケースもあります。



男女のジェンダーギャップが顕著でありながら、女性の幸福度が高いという矛盾の構図は、奇しくも今の日本社会がアクセルとブレーキを同時に踏んでいることの表われなのかもしれません。

戦後の混乱期においては男性も女性も貧困と対峙する中で明日に向かうことが求められましたが、やがて男性は企業戦士として専ら稼得労働に従事し、女性は専ら子育てや家事に従事するという昭和的な役割分担が定着していくことになります。


服飾の変遷に目を転じると、男性はビジネスマンとしての戦闘服であるスーツ文化が興隆してコロナによる影響はあるとはいえ今なおその流れが根づいているのに対して、女性は日常生活に適したベーシックな服飾からファッションセンスを競う服飾文化へと華々しく発展を遂げてきたといえます。

もし服飾に社会的な役割期待の意味が込められているとしたら、男性は良くも悪くも一本道をひたすら駆け抜けているのに対して、女性は良くも悪くも複線的なコースが与えられて人生の岐路にあたって選択を求められているのです。

そもそも男性とはそういうものだ、女性とはそういうものだという意見もあるかもしれませんが、少なくとも前近代においてはジェンダー以上に社会的な身分(家柄や職業や出生地など)における区分の方が圧倒的に大きなウエイトを占めており、それは服飾文化にも端的に表れていたことが知られてます。



うがった見方をするならば、男性型の一本道か、女性型の複線コースかが、問われているのが今の時代なのかもしれません。

ダイバーシティという視点では明らかに複線型といえるのかもしれませんが、日本的経営(たとえば老舗の研究)という観点では必ずしも複線コースが優位ともかぎらないと見る向きがあり、これからの社会をどう描くかは悩ましいところです。

テレワークやワーケーションの広まり、そしてスーツ文化の変容をもたらす可能性があるコロナショックによる日本のビジネス文化が、メンズコスメやレディース服男子の増加といったトレンドも相まって、今後どのように変化していくのかも興味ぶかいです。



個人的には、男性が柔軟に女性の文化を取り入れていく流れ、とりわけ服飾や審美面における積極的な中性化の方向は、男性文化の変容とともに女性差別解消につながるであろう可能性を感じますが、現実的にはまだまだマイノリティの発想かもしれません。

最後に、まったく個人的な感覚の仮説。

もしかしたら、日本男子は恥ずかしがりだから、本当はそんなに不幸なんかではなく、そこそこ幸福度は感じているけど、言葉にできない独特の美徳として、他人に対して「私は幸せです」とはいえないのでは?

だとしたら、まったく別の視点が必要ということになりますが、これはまた機会があったら考えてみたいと思います。

学生時代に初めて時事についてコラムを書き、現在のジェンダー、男らしさ・女らしさ、ファッションなどのテーマについて、キャリア、法律、社会、文化、歴史などの視点から、週一ペースで気軽に執筆しています。キャリコンやライターとしても活動中。よろしければサポートをお願いします。