小論文を書けるように、中学生を育てる

自分は、小学生対象の塾で教えているが、時々、「もっと習い続けたい」と、中学生や高校生になっても卒業しない子がいる。
或いは、一旦卒業してから、再び教わりに来る場合もある。以前は、古文と説明文でセンター試験に対応できるようになりたい、という案件が多かった。
このところ、小論文が書けるようになりたいというオーダーが連続した。
それもあって、中高一貫校に通っている中学生に、敢えて県立高校の入試問題を与え、「意見を述べる」という訓練をしてみようと思った。

まずはチャレンジ


欧米人が考える美と日本人のそれの違いを述べた文章。とりあえずまずは、解かせてみる。問の2〜4は卒なく正解するのだが、5が、全く歯が立たない。さて、どうするか。

まずはオーソドックスに、丁寧に本文の解説をする。立ち止まっては、本人に言い換えを求めて、具体的な場面を連想させ、イメージを掴むように運ぶ。
その上で、もう一度、問いの意味をゆっくり考えさせる。
…それでも、まだ歯が立たない。
その日の解説のアウトプットを求めたところ、「日本人の考える美」については、それなりにイメージできていたが、「欧米人の考える美」の方が、全く、印象に残っていなかった。ふむ。

まずは具体的な題材で考えさせる

翌週。
「まず、身近な何かで、『比較して論ずる』をやってみようよ」
「?」
「つまりさ、1人の足の速い人が走ってても、見て、速いなってわかりにくい。誰かと並んで走ってるの見たら、どれだけ速いか遅いか、掴めるじゃない?そんな風に、比較したお陰で、何かの性質がよく分かる、って話、書いてみてよ」
「…猫と犬…」
「いいよ、猫と犬。」
(暫し煮詰まる沈黙)
「…えっと、猫とか犬、飼ったことある?」
「…ない」
「じゃあ、なかなか書けないよ、よく知らないんだもの。そうだな…例えば、勉強の方法。先生は、自分が中学受験した時、理社の暗記モノ、丸暗記してやってたものは、中2になったらすっかり忘れててショックだった。5,6年の全ての放課後と全ての日曜日をギセイにしてやったのに。でも、考えて試行錯誤した算数は、頭から消えなかった。国語の読解も然り。だから、丸暗記と、考えて試行錯誤する勉強方法なら、後者の方が、比較した時、ちゃんと身に付いて残る。…ね?それは、私が経験したことだから、よく分かっているから、こういう風に話を語れるでしょ?」
「……」
「別に、シンプルなモノだって、よく知ってれば語れるよ。例えば、自分、子どもの頃、近所のケーキ屋さんのレアチーズケーキと、ベイクドチーズケーキと、いつもどちらを選ぶべきか真剣に迷った。どちらも美味しい。レアチーズケーキは、爽やかなシュッとした味わいが素敵。あと、見た目も、アイボリーのチーズケーキの上にスライスしたレモンが透明なゼリーの中にのってて凄く素敵。一方、ベイクドチーズケーキは、コクがあって、「食べたな」って納得感がある。でも、見た目は地味。結局、あの頃は、ベイクドを選ぶ事が多かったな。レアは、素敵だけど、もう一つアッサリ・サッパリしていて、食べる前の素敵さに比べて、なんか物足りない。だから、子どもの自分にとっては、どっしりした食べ応えの方が好ましかったんだね。そんな風に、並べて語ると、単体で語るより、より、その意味合いが掴めるじゃない?」
「えっと…文化堂で、コーヒー牛乳とあんこのお団子、買っていいのは一つだけだから、どっちか選んで買うんだけど…」
この、文化堂というリアリティもいいし、コーヒー牛乳とあんこのお団子という取り合わせの生々しさも最高に素晴らしい。
「コーヒー牛乳の方が、結局、買う回数が多い。コーヒー牛乳は…甘くて美味しい。あと、勉強しながらでも飲める。だからよく買う。あんことお団子は…食べ応えと、あと、モッチリした感じがあんこに合うのがいい。」
「なるほど。よくわかるよ。」
「元の入試問題みたいに、比較して論じる利点と問題点も、言うの?」
「んー、とりあえず、今考えてる、あんこのお団子とコーヒー牛乳から離れた、分かった事を指摘すれば十分じゃない?」
「?」
「例えば、今の話から、よくコーヒー牛乳買うってことは、キミが家でよく勉強するって事なんだな、とわかったよね(嬉しそうに笑う)。さっきの私のチーズケーキの話なら、子どもは育ち盛りだし、食べ応え重視する、っていう、チーズケーキから離れた事がひとつわかったじゃない?そういう風に、何か、発展させて述べられるのが、いいんじゃないかな。」
「うん」

次の段階へ

「それでね、問題に戻ると。今回みたいな説明文と小論文ってよくあるけど、今、コーヒー牛乳とあんこのお団子考えたくらいな感じで、書かれてる内容(例えば今回なら、日本人の考える美と、欧米人の考える美)を取り扱えるようになる必要が、あるわけ。」
「…う〜ん!」
「それで、前回、キミ、日本の美の方は結構捉えられてたけど、欧米の方が、全然、ピンときてなかったよね。…検索してみよっか!古代ギリシャ彫刻で画像検索…」
すると、ミロのヴィーナスとか、ニケとか、有名なのがゴソゴソ出て来る。どうも、初めて見たような反応。
「本文、もう一度確認してみて。」

アメリカも含めて、西欧世界においては、古代ギリシャ以来、「美」はある明確な秩序を持ったもののなかに表現されるという考え方が強い。その秩序とは、左右対称性であったり、部分と全体の比例関係であったり、あるいは基本的な幾何学形態との類縁性など、内容はさまざまであるが、いずれにしても客観的な原理に基づく秩序が美を生み出すという点においては一貫している。

「ね?なんかちょっとそんな感じしない?」
「うん…」と、写真に指を当てて、八頭身かどうか測り始める。
「見てて思い出したんだけど、先生昔バレエ見るのに凄くハマってた事があって、バレエって、肉体で幾何学模様を描き出し続ける感じがすごいしたのね。それも、このギリシャ彫刻に通じる美意識じゃないかな。」

「なんか、おんなじ思想だと思わない?」
「うん…」
「文化による違いって、例えば、アフリカとかどんなか、見てみようか」

「全然、考え方の成り立ちが違う感じだよね〜!」
「…なんか、祭りっぽい…」
「ああ、なるほどそうだね…今度、日本見てみよっか」

「でも、これはこれで、"部分と全体の比"って感じもするね…幾何学的というか…」
「うん…」

「顔の表現とか、狙いが、さっきの古代ギリシャ彫刻と、全然違うよね…」
「うん…」

まとめ

「こうやって、説明読んで、実物に当てはめて見てみると、なんかモノの見え方が変わってくるでしょう?こんな風にして、色々読んだり、見たりしていって、意見を述べる"持ち札"を増やすんだよ。面白いよ!」
「うん。…先生、そこら辺に積んである本は?」
「先生の私物(笑)。大学の教科書。先生も勉強してるんだー。楽しいよ!」
「大学に教科書があるの?」
「高校までの、文科省検定のみたいなんじゃないよ。その先生が『これが、初学者の入門に相応しいかな』って本を選んでくれるんだよ。でも、キミにはまだ無理だよ。知らないことが、後から後から出てきすぎる。でも、中学生くらいのうちから、こういう貯金を作っていけば、だんだん読めるようになるし、小論文だって書けるようになっていくよ!」

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