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嫌いの代償

誰にでも嫌いな人は居ると思う。嫌いとまでは言わなくても、苦手な人なら無数にいるんじゃないかな。嫌いって感情は一見他者に対する攻撃的な感情に思えるけど、自縄自縛的な要素も大きいんじゃないかって最近思うようになった。これは嫌いって感情が引き起こす自分への負の影響の話。

嫌いって言うのは一種の自衛行動で、不快なものから自分を守る大切な感情。「嫌い」を大っぴらに発言して人を傷つける事は批判されて然るべきだけど、「嫌い」って感情自体は否定されるべきじゃない。でも「嫌い」が自分も傷つけてるとしたら?

嫌いな人の嫌いな所を上げてみて。性格、容姿、声、その人から発される様々な事が嫌いな所として挙げられるよね。嫌いになった出来事が別にあったとしても、一度嫌いになるとどんどん嫌な所が見えてくる。
じゃあその嫌いな人と似てるって言われたらどう思う?嫌な人が大半だよね。だから、嫌な人の行動を自分はしないようにする。特に嫌いになった原因にあたる行動は絶対にしないと思う。ルールを守らないから嫌い、じゃあ自分はルール守ろうね、くらいなら平和に終わる。だけど、嫌いな人が出来ると嫌いな要素も増えるって特徴は、時に重大な副作用を引き起こしうる。例えば誰かの声が嫌いになった時、その人は他者から自分の声が嫌われてないかと言う恐怖に少ながらず向き合わないといけない。顔、体型、身長、匂い、清潔感、性格、仕草。もし他人をこれらのが原因で嫌いになった時、常に自分はその事によって嫌われる可能性を考慮しないといけなくなる。よっぽど自己中心的で自信がある人でも無いと、それを回避するのは不可能だと思う。人を嫌いになればなるほど自分が嫌われないように取り繕う必要が出てくる。これが人を嫌いになるって事の代償。
嫌いは諸刃の剣なんだよ。

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