世界は物語でしか変わらない
私たちは朝から晩まで、他人の創作物を吸収し続けています。創作物は、ニュース、SNS、家族や友人との会話、本、音楽、TV番組など、あらゆるフォーマットで表現されます。
これらの創作物に共通することは何でしょうか?
答えはすべて「私たちの意識を変える」ことを企図している、ということです。
脳は現実と物語を見分けられない
ワシントン&ジェファーソン大学のジョナサン・ゴットシャルによれば、ヒトは物語に引き込まれると、実際に生理的現象が身体に現れると言います。例えば映画で恐ろしいシーンを目にすると、私たちは発汗し、息が荒くなり、筋肉が硬直し、瞳孔が広がるという身体的な反応をみせます。現実の身体はソファにあるにも関わらず、脳は緊急事態に備えるためにシグナルを発するのです。
また別の研究では、物語の消費者は、キャラクターと俳優の性格を同一視する傾向が指摘されています。悪役を演じた俳優が誹謗中傷を受けたり、爽やかな役を演じた俳優にCMの依頼が舞い込むのも、このバイアスによって説明できます。例えば、人気ドラマ『Game Of Thrones』の悪役ジョフリー・バラシオンを演じたジャック・グリーソンは、多くの誹謗中傷を受けたと指摘されています。
私たちの意識レベルでは、キャラクターは作り物だと理解しているものの、無意識レベルではフィクションと現実の区別が困難であることが最近の研究で明らかになりつつあります。
現代マーケティングに必須の物語
近年多くの経済学者が、現代の資本主義システムの綻びを発見し、資本主義を超克する経済システム、つまりポスト資本主義について構想を巡らせています。下記の記事で詳説していますが、資本主義の綻びの一つとして、GDP成長率の低下があります(図2)。その主たる理由として、私たちの生活に対する充足感が飽和しつつあり、高度経済成長期に見られた消費活動の拡大が、維持できなくなってきたと指摘されています。
元コンサルタントの山口周は、このGDP成長率の低下と、マーケティングという概念の浸透は、共に1960年後半から始まったと指摘しています。つまり、三種の神器に代表される生活必需品が国民に行き渡り、モノ余りの時代に突入したため、人々の需要を人為的に喚起する手法として、マーケティングが必要になったという指摘です。
スコット・ギャロウェイは著書『the four GAFA 四騎士が創り変えた世界』の中で、成功するマーケティングはいずれも身体の3つの部位に訴えかけると分析しています。その3つとは、脳、心、性器です。
このうち、脳は合理的な判断を持って購買に至ります。脳は競合製品との価格を比較し、費用と便益を分析し、冷静な目線を持ってプロダクトを評価をします。もしあなたのプロダクトが脳に訴えられない場合、狙うべきは心と性器であるとギャロウェイは指摘します。
一方、ギャロウェイの言う心とは「他者への愛」で、家族に良いものを食べさせたいとか、愛する人にプレゼントを送りたいという心理を指します。また性器とは「セックスアピール」のことで、スポーツカー、高級時計、厚底の靴など、異性の気を惹くためのものが、性器に訴えるプロダクトの典型例とされます。
脳に訴えるプロダクトは顧客の鋭い目線で評価されるため、利益を最大化しづらい傾向にあります。さらにモノ余りの時代と言われ、断捨離やミニマリズムというイデオロギーさえ現れた時代においては、顧客がそのプロダクトを本当に必要か自問する時間を与えることすら危険です。
したがって、必然的に企業は顧客の冷静な判断力を奪うため、心と性器に訴えかけるようになります。このとき、マーケティング手法として物語は重要な働きをします。広告は通常、便益の比較よりも、「このプロダクトを使えば素晴らしい生活が待っています」というドラマの形を取ります。モノ余りの時代に至った今、企業は自社の利益を守るため、物語の力を活用しなければならない時代にあると解釈できるでしょう。近年現れたCSO(チーフ・ストーリー・オフィサー)という仕事も、時代の要請に応えて出現した役職といえます。
物語を紡げない人々
作家の橘玲は、言語的知能の低さが、性犯罪や極端な右翼化を誘発する可能性を指摘しています。幼児に性的関心を向ける小児性愛障害の患者の特徴として、言語的知能の低さが多くの研究によって示されています。これに対する最も説得力のある説明は、言語的知能が低い男性は、同世代の女性と対等な関係を築けず、性的対象の年齢が低下するというシナリオです。
また橘玲によれば、言語的知能が低い人々は、新たな環境で居場所を見つけられるか不安を抱き、現状維持を望む傾向、つまり保守的な思考を持ちやすいといいます。米国のリベラル層が、ニューヨークやワシントンやカリフォルニアなど、多様性と刺激に富んだ土地に多く住む一方、トランプ支持の保守派は、いわゆるラストベルト(錆びついた中西部)から移住しない事実も、この説を補強していると論じられています。
ここで重要なのは、保守的思考の良し悪しではなく、物語を紡ぐ力である言語的知能が乏しい場合、新たな環境へ飛び込めなくなるという傾向です。徹底的に社会的な動物である私たちにとって、稠密な人間関係の中で生きていくために、言語的知能は重要な能力であると言えます。特にVUCAと言われるように、未来の予測が困難な現代では尚更でしょう。
ハリウッドが世界を創り変えている
心理学的に、ヒトの感情は次の2つに分類できます。
活性化する感情…怒り、不安、高揚など
不活性化する感情…満足、絶望など
このうち拡散力を持つ物語は、前者の感情である怒り、不安、高揚を誘発するストーリー、つまり私たちを活性化する構造を持っています。みんなが知っている物語として思いつくものはほとんど、これらの感情を誘発するはずです。例えば、聖書、陰謀論、フェイクニュース、ゴシップ、映画、漫画、小説、噂話は、この物語の作法に則って構成されています。
ヒトの脳はフィクションと現実を無意識レベルで区別することは難しいと冒頭で述べました。日本のSNSでは揶揄の対象になりがちですが、ハリウッド製の物語にはポリティカル・コレクトネスが溢れています。実際にハリウッドに拠点を置く映画製作関係者にはリベラルが多く、彼らがストーリーテリングの作法と巨大な影響力を行使し、同性愛や黒人やイスラム教徒への偏見の撲滅に大きな働きをしていると指摘されています。
物語へ没入しているとき、私たちは虚構のキャラクターへの見解を、無意識的に現実世界へと拡張する傾向があるといいます。例えば、ドラマで好感の持てるゲイの登場人物を見るうちに、現実世界のゲイの人々への態度も好転することが明らかにされています。
環境問題の沈黙、陰謀論の饒舌
拡散される物語の特徴の一つに、単純な二項対立があります。悪者を主人公が打ち倒す勧善懲悪のプロットは、世代や性別を問わず普遍的な魅力があると言われます。恐らくこれは、私たちが狩猟採集をしていた名残で、「俺たち」と「奴ら」という分かりやすい構造を描き、仲間を優遇し敵を叩くという行動を促すため、物語が使われていたと推測されています。そのため二項対立を描くストーリーは、狩猟採集時代と変わらぬ脳を持つ私たちの心を打つという指摘です。
下記の記事では、二項対立が私たちを魅了する事例として、SNSにおけるバッシングを取り上げました。
この二項対立という物語の文法から、様々なことが説明可能です。例えば、環境問題は多くの環境学者が喫緊の課題として指摘しているにも関わらず、私たちの多くは真剣に取り合っていません。これは環境問題に多くの要素が複雑に絡んでおり、明確な勧善懲悪の物語を打ち出せていないことに由来します。
この環境問題の上に明確な物語を描いた環境活動家として、グレタ・トゥーンベリがいます。グレタは先進国に住まう大人を明確な悪者として規定し、子供達は未来を収奪される被害者という構造の物語を作りました。現役世代と未来世代という軸で対立を描いたことで、彼女の物語は世界的な広がりを見せたのです。
一方、科学的根拠に乏しい陰謀論が多くの人々を魅了する理由も、同じく二項対立で説明可能です。Qアノン、ディープステート、人工地震、ユダヤ陰謀論など、広く知れ渡っている陰謀論は、暗躍する「悪者」を作り出し、自分たちは悪者を叩くヒーローというプロットで構成されます。一方、陰謀論の嘘を暴く物語には、誰も注目することはないでしょう。なぜなら、陰謀論を科学的に覆す物語では、明確な悪者を提起することは困難だからです。
まとめ
私たちは狩猟採集時代の名残から、想像以上に物語に対し無防備であることが、多くの研究で示されています。その中でも、悪に対する物語、つまり二項対立を持つ物語は強力で、陰謀論、SNSでのバッシング、勢いのある抗議運動の多くがこの力で説明できます。
冒頭のジョナサン・ゴットシャルによれば、私たちは常に言葉を使い、相手を自分の都合のよい方向へ「なびかせて」いると表現します。稠密な人間関係の中で生きる私たちにとって、他者をなびかせる力として言語的知能があり、性愛の獲得や新たな環境への挑戦が、この知能に依存しているようです。
付記 - 物語の戦争利用
物語が世界を分断した事例として、1990〜1994年のルワンダ内戦があります。多数派のフツ族が少数派のツチ族を虐殺した内紛で、死者の数は80〜100万と推計されています。ところがフツ族とツチ族に遺伝的な違いはなく、鼻の大きさや身長という外見的な差異により分類されていました。それにも関わらず、政府の発行するIDカードには人種が記載されており、人為的な人種の分断であったと指摘されています。
ルワンダでは電気の供給が一部の都市部に留まっており、ラジオが主要なメディアとして親しまれています。内紛においてもラジオは内紛指導者に利用され、虐殺を加速させました。例えば次のようなメッセージが連日繰り返されたといいます。
国民にとって唯一の情報源であるラジオから呪詛を刷り込まれた国民は、隣人を敵と見なして虐殺に加担したとされます。私もルワンダ国民と同様の立場であれば、彼らと同じように憎悪を募らせていたと思います。
内紛から25年経った2015年、ユニセフの日本人職員である榮谷明子(さかえだに・あきこ)さんが中心となり、ルワンダ初となる子供向けラジオ番組 『イテテロ』が始まりました。
榮谷さんはラジオ番組を構想したきっかけとして、ルワンダ赴任直後に見学した村の出来事を挙げています。彼女はそこで、幼稚園に通えず、玩具や絵本もない環境で、ただ毎日を何となく過ごす子どもたちが沢山いることを知ります。内紛の影響で国民の過半数が18歳未満であるルワンダでは、子どもの人数に対し大人の数が少ないのです。しかしどの家庭にもあるラジオなら、全ての子ども達が家でも楽しく学べる環境を作れると思い立ち、賛同してくれる仲間を集めながら番組を立ち上げたと著書で語られています。
その後、ラジオ番組『イテテロ』は人気番組となり、ルワンダ全土に向けて週に2回放送されています。番組の中では、喧嘩した友達と仲直りする物語、マラリア感染予防のために身を守る物語などが語られています。紛争中に呪いの物語を流したラジオは今、未来のための物語を伝えているといえます。
榮谷さんがルワンダにおける5年の勤務を終え、次の国へ出発するために予防接種を受けた病院の待合室で、近くに座っていた親子の父親が携帯電話を取り出しました。父親は携帯電話から、『イテテロ』で流している子供向けの音楽を再生し、子どもたちに聞かせ始めたそうです。榮谷さんはこのときの出来事を振り返り、嬉しさに圧倒されたと著書で述べています。
リーダブル秋山(@aki202)
参考文献
ジョナサン・ゴットシャル『ストーリーが世界を滅ぼす』東洋経済新報社, 2022
橘玲『スピリチュアルズ「わたし」の謎』幻冬舎, 2021
スコット・ギャロウェイ『the four GAFA 四騎士が創り変えた世界』東洋経済新報社, 2018
山口周『ビジネスの未来 エコノミーにヒューマニティを取り戻す』プレジデント社, 2020
榮谷明子『希望、きこえる? ルワンダのラジオに子どもの歌が流れた日』汐文社, 2020
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