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2023→2024 -謹賀新年と備忘録①-

2024年も5日が経過しました。
今更ですが、本年もよろしくお願いいたします。
とんでもない幕開けになった2024年ですが、今やるべきことを淡々粛々と継続していく所存です。
大きな目標よりも小さな願いがたくさんある、正直今はそんな感じ。

この年末年始のこと、自身の備忘録として記す。


2023年末のこと

昨年末は12月28日で仕事納めをし、夜クラスに参加。
帰国しているミミとマックスにようやく会えて嬉しい。

おかえり!

29日は広尾の19時クラスに参加。
そこで遠田さんが「31日は横浜行くよ」と仰っていたので図々しく便乗させてもらうことにする。
30日は自由が丘の年内最終日のクラスに参加。

自由が丘 年内最後
いつもありがとう

通常通りの10時クラスに参加し、練習後は毎年恒例のお疲れ様会。
昼酒って楽しいよね。

翌日の年内最終日は広尾の兄さん方に便乗し横浜へ。
自由が丘や広尾、その他支部からもたくさん来ていてよい盛り上がりでした。
メルセデスでの送迎付きで最高だった。
皆さん、ありがとうございました。

横浜 大賑わいの大晦日練習


12月の終わりは練習して飲んで…と楽しい時間ばっかりだったな。

大晦日から年越しのこと

この年末年始は、娘の希望もあり年明けの2日から帰省予定だった。
年末は都内でイベント毎が多くあった模様。
通常は道場の練習最終日の翌日に帰省することが多かったので、大晦日から元旦を都内で過ごすのは久しぶりだった。
(コロナ禍以来かな)

31日も練習後は洗濯して掃除して買い出し行って…と考えていた。
そんな昼過ぎに夫が実家(奈良)に行かなくてはならず。
中旬頃にそんな話も聞いていたのだけど、つい先日に行かなくて済みそうって話だったのだが、地元で諸々あったようでお義母さんからの要請で急遽向かうことになった。

さて、娘と二人で大晦日を過ごすのか。
買い出しも内容変えないとな、とか思っていた私の脳裏にふと浮かんだのは…そう陽子さん。
もともと1日の昼からお年賀に伺う約束をしていたんだけど、これまた図々しくも即連絡をして大晦日から行ってもよいか確認。

ほんと大晦日になんて厚かましいのか私は…なんて思いながらも、陽子さんからは「おいでー」と優しい返信が。

女神のLINE


遠慮もせずに娘と共に準備をし渋谷東急のれん街で買い出しして陽子さん宅に向かう。
のれん街は結構混んでいたな。
集合レジが「最後尾」っていう看板持っている店員さんがいるくらいに。
活気あったよ。

陽子さん宅ですき焼きをごちそうになりながら、紅白見て懐かしいコンテンツにキャッキャウフフして、飲んで食べてとても楽しい大晦日からの年明けを過ごしたのでした。
橋本環奈のドレスが300万円以上すると話題になっていたけど、我々としては伍代夏子の着物の方が絶対高いよねって話してたりね。

2024年となった翌朝には陽子さんがお雑煮を作ってくれ、おせちと共に頂く。
幸せでしかない。

おせち
お雑煮
めっちゃ美味しい


昼頃までゆるゆる過ごし、ぼちぼちお暇せねばと陽子さんと阿部先生に御礼をして帰路につく。
ありがたい限りです。

1月1日の16時のこと

家に戻ってお風呂に入り、少しのんびりしてから娘と初詣に。
家の近くの玉川神社。
16時に家を出て娘と神社に向かうと結構な列ができている…しかたない。
列に並んでいると、妙に周りがざわざわ。
「地震?」「揺れた?」など聞こえる。
スマホひらいて、地震の情報が目に入った。

石川?富山?新潟?
震度7?
津波?
警報?
え、なに?
3メートルの津波?

即刻、実家の家電・親の携帯・妹の携帯(帰省中)に電話する。
出ない…。
娘が電話しても同じ。
LINEしても既読にならない。
弟に電話する。
ようやく繋がるも
「今、避難してるから!!たいへんだから」
と焦りと不安と怒りと責任が全部混ざったような声。
わかったから早く行って!お父さんたちもお願い!!!
と返事をし電話を切る。
それが16時16分。
そこからしばらく誰とも連絡がつかない。

弟の家から海岸までは直線距離にして200mもない。
そして4歳と5歳の子供がいる。
弟の家から50mほど内側に我が実家。
いずれも即避難しなければ危険。

弟の家
国道挟んですぐに海岸線


現地の様子を知ることができないまま数時間。
18時過ぎに妹から連絡があった。
その後まもなく親とも連絡が取れた。
まずは無事なことに本当に安心した。

弟はあの状況下でも実家にも顔だして親に早く避難しろと声かけし、帰省中だった妹も一緒に、周辺でもっとも高さと強度があるとされる「新幹線のホーム」に避難した。
弟一家から遅れること数十分、親も同じ場所に避難していったようだ。
最終的にはホームで合流し、津波警報が解除されるまで待合室などで過ごしたとのこと。
弟のことはぽけーっとして頼りないなぁって思っていたけど、見直した。

糸魚川という地域は海と山に挟まれている。
山に向かって行くにはやはり車が必要で、でも当然ながら非常時には車では渋滞となり進まない(実際にそのようだったらしい)。
市役所がある場所は海からは離れてはいるし高台なのだけど、実家からそこまでの移動が難しい。
一人身軽であれば走るなりしてそれも可能だろうけれど、子供がいる・年老いた親がいる…となるとどうしても簡単にはいかない。

駅からも海が見える近さ
実家から駅までは徒歩5、6分の距離


その中で垂直避難の観点から新幹線のホームに向かったことは非常に良い判断だったと思う。
311東日本大震災後に建設されているので耐震(30m級の津波に耐えうる強度・高さとのこと)は安心できる。
そして自らの足で行ける範囲内では最も高い場所。

駅・ホームを開放し備品等を提供してくださったJR西日本(糸魚川は西日本管轄)には感謝してもしきれん。
ありがとうございます…。


その日の私たちのこと

私にもたくさんの方々から安否を気遣う連絡をもらった。
ここ数年会っていなかった友人からも
「地元帰ってるの?大丈夫?」
「ご実家、新潟だったよね??」
など、私の出身地も含め憶えていてくれたことも併せて本当にありがたかった。
嬉しさと不安で涙とまらなかった。

そうこうしているうちにも列は進み、いよいよお参りの順番。
その場で願うのは地元の家族とこの震災におけるすべてのことの無事のみだった。
他のことは正直考えられなかったよ。
おみくじも引く気持ちになれず。

それでも…今の私には何もできることはない。
情報を適切に入手して、冷静に判断していくしかない。
やれることはない、ということだけがその時の事実。
だから、いつも通りちゃんと買い物して夕飯作ってお風呂に入って寝る。
連絡はいつでも取れるように。
心あらずでも、娘のリクエストのパスタを作る。
(お正月料理は陽子さんのところでたくさん頂いていたので、日常メシ)

21時過ぎに再度、親からの連絡。
様子見ながら過ごしているから大丈夫、と。
そこからしばらくして警報が注意報に変わったタイミングで自宅に戻ったようだ。
(これの良し悪しについては一旦おいておく)

この時点では当然新幹線は止まっている。
この先もどうなるのかも読めない。
もともと予約していたのは2日の午後。
果たしてどうなるのか、翌日の様子を見るしかなかった。
親ともそんな話をして電話を切った。

その日の夜はなかなか寝れなかった。

2日のこと

もともとの予定では、2日には橋本先生のプチセミナーを受けてからそのまま帰省するつもりだった。
だけど、震災が起こったことで新幹線の状況もどうなるかわからないし、気持ち的にも柔術をするキャパはなくて、前日にも関わらずキャンセルの連絡をさせてもらった。
直前に本当に申し訳なかったのだけど、橋本先生は「大丈夫ですよ。気にせずに。大変ですね」とこちらを気遣うご返信を下さり、たいへんありがたかった。

午前中、新幹線の再開状況を追う。
9時頃の情報では昼には再開の見込みとの情報。
親とも連絡を取りつつ、再開されたら予定通りそちらに行くと伝える。

地元は余震が続いているものの、家自体は大きな被害もなかったようだ。
実際に何か倒れたとか割れたとかはほぼなく、飾り棚のこけしが転落しただけだった。
弟の家も同様にほぼ何事もなかった様子。

11時頃には再開は15時頃と変わった。
正直再開するかもわからなかったけれど、そのタイミングでとりあえず東京駅に向かう。
案の定、新幹線乗り場のみどりの窓口は長蛇の列。
電光掲示板には新幹線運行情報が出ているものの、13時台の新幹線の「運休」までしか情報がない。
14時過ぎの指定切符はあるけど、それが使えるのか・変更できるのか、まったくわからないのでとにかく並んで、窓口の駅員さんに確認するしかない。

順番が来て、窓口の方に状況を確認。
・再開は15時前後(まだわからない)
・予約した新幹線が運休だった場合には他の新幹線の自由席でいける、または指定を取り直すことができる
・予約している新幹線が予定通り動けばそのまま指定で行ける
・但し、新幹線の号数(はくたか567号など)が変わる場合もあり、その時には指定は解除されるので自由席か指定を取り直す必要がある
・指定を取り直すには窓口での手続きが必要なので再度並びなおす必要がある
丁寧に必要な情報を教えてもらった。

その時点で13時。
再開情報はまだ出ていない。
そのような中では何もできることはなく、娘と遅めのお昼ご飯を食べることにする。
14時少し前に再度駅構内に。
新幹線乗り場付近での放送で「再開」「金沢方面」などと言っている。
北陸新幹線が再開した様子。
電光掲示板を確認すると、どうやらもともと予約していた14時過ぎの新幹線から再開するらしい。
新幹線の号数もそのままだから、指定のままで行けるということ。
念のため、改札周辺でサポートしている駅員さんに確認するも認識通り。
運がいい。

再開した北陸新幹線に乗ったこと

新幹線のホームへ。
指定席の車両のところに並ぶ。
全然人がいない。
自由席の方は割と列ができていたのだけども。

それはそうか。
運行するかわからないし指定席はキャンセルも多かったはず。
一方で切符の買い替えや変更ができないまま再開を待っていたいた人たちは自由席で向かったのかもしれないなと。

車内放送では車掌さんが
「大変ご迷惑をおかけし申し訳ございません。」などと言っている。
謝ることなんて何一つないのに。
震度7の地震からたった1日で復旧・再開できることが素晴らしいし、関わっている方々への感謝だけ。

長野までは順調。
数時間後に到着するエリアで大きな地震があったなんて思いもしない風景が続く。
長野駅を出て間もなくして緊急停止。そして停電。
余震の影響とのこと。

きっとこんな感じで停止しながらの運行だろうと思っていたし、場合によっては途中でとまる可能性だって大いにあるとそれなりに心づもりはしていた。
飲み物とか最低限の食べ物とかは準備して乗っていた。
だけど、実際にはこれもものの15分足らずで復旧し、そのあとはほぼ何もなく糸魚川まで運行していたのだった。


思った以上に長くなったので、一旦ここまでにします。
続きはまた書きます。

読んでくれてありがとー。


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