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葉月、よもやま話2(オリンピックイヤー)

夜は少しずつ秋めいてきている8月。
まもなく秋になる。

この夏にふと頭をよぎったこととか考えてたこととかうっかりしたことととか、時系列も脈絡もなく書き連ねます。


オリンピックイヤー

今年はオリンピックイヤー。
様々な競技でいくつもの素晴らしい戦いがあった。
結果も勿論だけど、やはり緊張感のある真剣な勝負の世界はどんなレベルであってもよいものです。

競技との距離感

柔道においては素人監督の声がSNSを中心に声高らかにあがっていたな。
「あんなの柔道じゃない、JUDOだ」
「審判がひどい」
「武道としての精神が~」
まぁ色々目にしたわ。

前提として「想うことは自由」だ。
何を想っても、どんな想像していても問題ない。
ただ、その想いを言葉にして公に発信した時には責任が伴うものになる。
単なる個人の意見だとしたら、何を望んであなたはその発信をするのか?
 -単に感想を述べているだけ
 -あきらかに間違っている(と思う)ことへの是正
 -業界の改革のため
 -ストレスと発散したいだけ
 -誰かを貶め傷つけたいだけ

是非を問うことはしない。
それすら自己満足だから。
ルールも、ルールに適応していくことも、それをジャッジする人も、素人が考えていることの数倍を考え切って今の状態にあると思うんだ。
だから、素人監督の是非は余計なお世話なんだよなってしみじみ実感した。
ましてや個人の感想だのストレス発散だのなんて、本当に意味不明だし、悪意を持った発言などは愚の骨頂だ。

それについては色々思うことはあるけども今日は一旦おいといて…。
この、それぞれの競技と「人」との距離感はなかなかに興味深かった。


先述の柔道では、選手・審判・協会・ルール・現状のゲーム…様々な観点からたくさんの意見がでていた。
無論、まっとうな聞くべき意見もあっただろうけども、大半は耳を傾けるにも値しないものがSNSでは目立っていた。

レスリングにおいては一部ネガティブな意見が出ていたけれども柔道ほどではなかった。
むしろ応援や感嘆と感動の声が多かったのではないか。

そして、スケートボードに至っては、柔道のような人道を外れたような意見はまずなかったし、正直基準がよくわからないジャッジについての批判もなかったように思う。
(あってもごごく少数だった気がする)

この現象って何だろうと思うに、色んな理由はあれどその一つに競技への距離感が関係していると感じてる。


柔道は中高の授業でも組み込まれていたり、地元に柔道教室があったりと比較的距離が近い。
わずかであっても「やったことがある」「知っていることがある」人が多いのかもしれない。
そうなると「知っている」という自負と、【自分が知っている範囲外のことへの耐性のなさ】と【変化をしらない】ことがかけ合わさって、素人監督が発生しやすかったのではないかと思う。
ルールも選手も審判もすべてがアップデートされている
本意だろうが不本意だろうが、ルールは変わっていくものだし、選手も審判もみなその新しいものにフィットさせていく努力をしている。
その努力も背景も、なんならこれまでの軌跡もすっ飛ばして、大昔に触れたことを軸にして語るからおかしなことになる。
(まぁその是非は本筋ではないのでとめる)

一方でレスリングにおいては一部色々なことでもめたものの、柔道ほどに一般人のネガティブなコメントや感想はなかったように思う。
その背景の一つには、レスリングにかかわった人が圧倒的に少ないからというのがある気がする。
関わってきた人は、おそらく素人監督みたいな発言すらできないほどレスリングを「知っている」のだ。
おいそれと適当なことを言えるような距離感ではないのだ。
近いんだ。
やってきた人はトップ選手との距離感がより近い。

レスリングを体育の授業でやっている学校などほぼないだろう。
柔道ほどに町道場があるわけではない(今は少しずつ増えているけども)
訴求とか認知度は柔道の方が圧倒的だろう。
だからこそ、素人監督が少なかったのではないか。

その最たるものがスケートボードだと思う。
このスポーツの背景やカルチャーを無視して進めるのはいささか乱暴かもしれないけれど、それでもスケートボード競技においてはネガティブなコメントや素人監督がわくことはほぼなかった気がする。

スケートボードをやっている人たちからすると、彼ら彼女らのテクニックやストーリーは、身近にみえていかにハイレベルであるかを知っている。
そして我々素人は、何が何だかわからないけれどとにかくすごいことをしているなと驚きと羨望を持つ。
要は一般人との距離が遠いのだ。
厳密には適切な距離感があるのだと思う。
スケートボードをやっている・やっていた人たちからは圧倒的なリスペクトを受けることであっても我々にはその細やかな部分はわかっていないということなんだろう。
知らないから素直に受け入れられる。
まぁ…スケートボードのカルチャーにも大きく影響しているとは思うけども。

そんな中で陸上競技。
ある意味でもっとも身近。
誰しもが一度は走っている。体育の授業でやっている。
それでも話題になりにくいのは、日本人選手があまりいないことと、競技の距離が近いことでレベルの違いをはっきり理解できるからではないか。
100mを9秒台…なんなら10秒台前半で走ることすらできない人の方が多いのだ。
自分がやったことがある、そしてその数字をまざまざとみせつけられる競技においては、距離感よりもレベル感の違いを実感できるのではないか。
身近ゆえに全くもって遠くて別の世界のものだと思える。
…陸上競技はジャッジがシンプルということも大きく影響しているとは思うけど、それ以上に知っているが故に未知の世界であることがわかるのかなと。


素人監督といえばサッカーや野球は、今回のオリンピックなんて比じゃないくらい湧いて出てる。
でもこの2つはプロだからね。
観客を楽しませることも仕事のうち。
正しいか否かは別として、サッカーも野球もやいのやいの言いながら応援することが楽しいのだろう。



何を言いたいわけではないです。
オリンピック見ながらふと思っていたことを書いただけ。

よもやま話。
また次回。


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