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錦繍

春秋の二冊の文庫タイムリープ経てもうすぐの夏になります
しゅんじゅうのにさつのぶんこたいむりーぷへてもうすぐのなつになります

亜希

イヤだった名前も辛かったことも良かったこともあって、全く異なるふたりが出会い、本があってどこかにいってしまったのにタイムリープを経たように見つかってもうすぐ夏をむかえるという短歌を詠みました。



春は儚くてお別ればかり、
夏の陽射しはまぶしすぎる。
冬はポケットで手をつなぐからちょっといい。

シャープな空の匂いの中、雲は流れて渡り
月は輪郭をなぞらえる。小さな鈴が揺れるみたいな虫の音に聴き入ってしまう秋が好きだ。


「秋」(あき)は、私の名前にも入っている。

名前といえば、幼稚園では、
「〇〇ちゃん」や「〇〇くん」だったけど、
小学校へ上がり学年が上がるとあだ名で
呼ばれるようになった。


見た目の特徴のあだ名。
からかい半分につけられたあだ名。
カッコイイ名前の男の子は、そのまま呼び捨てだった。


私はというと、姓をもじったあだ名で呼ばた。



遠足前に班で、
しおりづくりをしていた時、「あれ?○○(私のあだ名)ちゃんって下の名前なんだったっけ?」と言われて私はビックリした。


けっこう仲良しだと思っていたのに…


私の名は印象が薄かった。

無理もない同じ漢字の読み方は、
お婆ちゃん世代にしかいない。


古風というより古臭くて漢字もまちがえられる。


同年代の子からは、すんなり読んでもらえない上に宗教絡みでついたこともあって
私は自分の名前が好きになれなかった。

長女だったことから母からも
「お姉ちゃん」と呼ばれ、社会人なって
名前で呼ばれることは皆無になった。

夫との出会いは職場で部署はちがったし長らくただの同僚として過ごした。

それがどこでどうなったのか
師走の大晦日迫った頃に都内にある会社から江ノ島までふたりでドライブをすることに。

港は酒盛りをする人で賑わっており雰囲気にのまれた私たちも何かつまもうかとなった。

お互い下戸だから港で震え、さらにキンキンに冷えたウーロン茶で焼き蛤を食べた。


なんだかチグハグなふたりだったが、
付き合うまでに時間は掛からず、ある日お互いの呼び方をどうしようかという話になった。


何度かショートメッセージをやり取りしていると「わたしは心の中であなたのことを
アキと呼んでいます」と
急に真面目なメッセージが飛んできた。

初めて「さん」付けではなく、
名前で呼ばれる。なんだかこそばゆい。
嫌っていた名前が一瞬にして色を持つ。


とまどいの中、少しだけ自分の名前を好きだと思えた。



私たちは、
年齢も好きな音楽も
趣味もかけ離れていたのに居心地がよくて
互いの大切なものを持ちより
一緒に暮らすようになる。

夫の持っている本は、村上春樹やヘミングウェイ…
私の本は、東野圭吾、三浦綾子、きょうの猫村さん…
ひと目でわかるほど著者がちがう。



夫は、私の本棚をめずらしそうに眺めて
一冊、人差し指で引き出して頁をめくる。



手にとった本は、宮本輝氏の『錦繍』。


あらすじは、元夫婦が別離し、
秋の蔵王のロープウェイに
偶然に乗り合わせ再会したことから始まる。


お互い御世辞にも幸せとは言い難く手紙の往来で話が展開していく。


主人公の女性の名は、勝沼亜紀といった。

「秋」「あき」「アキ」

蔵王、ダリア園、紅葉、ロープウェイ、
ドッコ沼、香櫨園…韻を踏んだ言葉たちは
物語の陰影を浮かび上がらせてゆく。


別れた夫婦が手繰り寄せられた運命のように
たった一本のロープにぶら下がった
ゴンドラに乗っている。



私は、そのシーンが好きで、
蔵王の紅く燃えるような深い森を見渡す
景色を想像して何度も思いを馳せた。

それほどまで読み込んだ本が
行方不明になってしまうと
今度は、夫が『錦繍』を買ってきて
お互いまた読み耽った。



一緒に暮らした部屋を
越すことになった時私が買った錦繍がひょっこり出てきた。
いったい何処へ旅していたのだろう。

本棚の『錦繍』は、2冊になった。

秋の気配がすると『錦繍』を開く。

ある時人から「秋は、実りの秋というでしょう。
自分以外の人に実りをもたらす
いい名前なんですよ」と言われた。



秋は、愛しい人が生まれた季節でもある。



その人は、私と同じ漢字を名に持ち、ただひとりこれからも
変わらずに私を名前で呼ぶのだろう。

【以前のアカウントにて掲載していたものです】


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