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【原作】#6 置かれた場所で咲く花は 第六章 劇場

 少々時は遡る……。


 シネマファクトリー・Kはスクリーンレンタルを承っております。社内会議や説明会、新商品の発表など、映画鑑賞と同様、大型スクリーンでのプレゼンは、よりインパクトのあるアピールが期待できます。映画を長時間鑑賞しても疲れない設計の椅子やどの場所からも見やすい座席構造はその助けになるでしょう。お持ち込みのPCやディスク、インターネット回線を利用した映像投影も可能で、マイクや長机など、お貸しできる備品も数多く用意しております。お客様のニーズに合わせた柔軟な対応をさせていただきたいので、ぜひご相談を。

 K市中央駅直通のショッピングモール内に映画館がある。フロア二階をぶち抜き、大小あわせたスクリーンが二十ほどある全国でもトップクラスの規模を誇るシネコンである。老若男女、どのような人種にも好みの一本を提供する。それがこのシネコンのうたい文句である。事実、週末には売店にはポッポコーンやソフトドリンクを求める長蛇の列が何重にも並び、出遅れた者たちは皆一様にゲンナリした表情を浮かべていることだろう。
 一番シアターは本日終日貸し切りとなります……。
 案内モニターにはそのメッセージしか出ていない。他の映画作品はまだ会場準備中、待合フロアで今しばらくお待ちください。
「お客様、申し訳ございません」
 男が三名、メッセージを無視するかのようにシアターに入ろうとする。格闘技でも身に着けているのか、筋骨隆々の男二人に挟まれるように間に入った男——年長の男。今時珍しい着流し姿だ——がスマホのQRコードを見せる。表情は穏やかだが、有無を言わせぬ威厳があった。
「失礼しました。懇親会参加の方ですね。一番ホールは向かって右側の奥になります」
 非礼を詫びた係員を無視して、男たちは目的地へ向かう。
 特定非営利活動法人山菱会、理事長 久末昭雄。着流し姿の男の肩書だ。表向きの。
 着物のえりに粋に隠した片方の指は一部欠損している。
 特定指定暴力団、山菱会会長、十代目。彼を良く知る者は、その肩書の方がしっくりとくる。

「久末様、ずいぶん遅れての到着ですが」
 遅刻の理由を咎められるのはいつ以来だろう。確か数十年前の学生時代にまで遡る。それもヤンチャだったあの頃の前だ。久末は苦笑する。一番シアターの扉前。受け付けアンドロイドの姿格好は、当時の委員長と大差ない。ホールディングス直営のイベント、〝招待状〟に記載された開催時間は深夜だ。半日ほどの遅れはまずいものなのか。
「すまんな。ちょっとしたヤボ用でな」
 大物ぶるな、ということか。アンドロイドの無表情はそう語りながら、バインダーを渡した。プラスチック製の安づくりのそれにはタブレットペーパーが挟まっていた。この懇親会とやらの概要と目的。簡単に目を通し、自分の付き人に渡す。なお、会場の都合によりお付きの方は二名までと限らせて頂きます。挨拶周りは極力ご遠慮ください。
 舐められたものだな。久末は苦虫を噛み潰す。
 片道2時間かけて、こんな片田舎にわざわざ出張って来たというのに。歓待の言葉一つない。これは構成員一万人を超える組織の長に対する振舞ではない。久末個人に対しても、組織に対しても。両側に列を作っての出迎えはいつの日以来の出来事か。
 山菱会だけでない。ホールディングスによる加盟組織の扱い方は冷酷だ。年々、天文学的に値上がりする会費という名の上納金。かつて敵対していた組織との手打ち通告……。意に反する、簡単には到底飲めない案件を、軽く簡単に早急にその履行を要求してくる。『ご依頼』と称して。
 では、その『弊社から御社へのご依頼』を拒否、もしくは逡巡したらどうなるか。
 制裁が待っている。
 暴対法などの法律を曲解した警察組織の介入。ホールディングスの内部工作による、下部組織の離反。そして抗争という名の攻撃……。反抗した組織は弱体化し、他の従順な祖組織に吸収される。山菱会もそうして大きくなった反社組織だから、なおのことホールディングスのやり方、怖さが分かる。今の時代、誰かの〝大いなる〟庇護の下でなければ極道などやっていけないのだ。
 久松たちは席につく、映画館の中だが、意外と明るい。だが、灯りが消えれば足元はおぼつかなく、その席も狭い。
「よう、久松の兄弟」
 禿頭の男が久松に話しかける。禿頭で、巨漢というよりも中年太りの脂肪で膨らんだ男だ。
「後藤の兄弟か。久しぶりだな」久末一同は立ち上がる。
「そうだな。叔父貴の三回忌以来か」そのまま、座っててくれ。
「悪いな。兄弟とはもっと連絡を密にしないといけないのにな」
「気にするな。兄弟は俺たちと違って、やる事がたくさんあるんだろう?」
 そうだ。ある。ホールディングスに反感を持つ跳ね返りを押さえるにな。昔のお前のような、という言葉を飲み込んだ。
「今回の〝懇親会〟の中身は何だ? 後藤の兄弟」方針説明会でも親睦会でもないだろう。
「酒盛りではないさ。兄弟」後藤は辺りを見渡して「こう見えてもここはカジノだ」
「カジノ?」
「そうだ。紙を見てみろ。受付で渡されただろう」
「オヤジ、これを」久末の護衛がタブレットペーパー差し出す。画面がスクロールすることに気付いた。
「対戦カード?」
「文字通り戦わせるのさ。横の数字がオッズ」
「掛け金は招待メールのQRコードからってわけか」
「そうだ」
「それで兄弟、景気はどうだ?」ギャンブルか。ホールディングスの資金集め。またもや、ホールディングスに搾取されるのか。参加しなければ何らかの処分が下されるだろう。ホールディングスに金を落とせ。組織の安寧のために。
「意外と楽しんでいるよ。小銭だが、いくらかポケットに入った。まあ、今の所、だろうがな」
「ほう。儲けたのか」
「おうよ。兄弟。この娘のおかげだ」自身のタブレットペーパーをフリックした画像には少女が映っていた。日本人ではない。おそらくは外国籍の、高校生ぐらいの容姿にしか見えなかった。
「ホールディングスの凄腕エージェントらしい。〝スマイル〟とかいう通り名だ」
「いつも笑っているからか。余裕だな」
「幼いころから戦場で人を殺し過ぎたことから、イカれちまったらしい。実際そんな働きぶりだ」
「もう〝一試合〟終わったのか?」
「残念だったな。遅刻するからだ」まあ座ろうぜ。
 隣に座った後藤は一儲けしたレースをことさらに説明し始めた。
「オッズはスマイルの方が悪かった。数が違うのに」
 ホールディングスに何らかの形で反旗を翻した組織とその刺客エージェントとの対決。タブレットペーパーにはそう記してある。確かに、エージェント一人に対して三十から五十。一人で始末するには数が多すぎる。
「どんな決着だったんだ?」
「凄かったぜ」ほら。後藤はスクリーンを指差した。防犯カメラやドローンからの映像をブラッシュアップして流している。「何度もリプレイされるんだ」

「ここまでやるのか?」
「ああ。ここまでやるんだ。あいつらは俺や多分兄弟のシマを荒らしていた連中だ。勝手にヤクをさばいて儲けていたガキどもだ。昔はホールディングスへの〝会費〟を俺たちの下の組に——三次か四次団体——みかじめ払っていたらしいが、中抜けされるのもバカらしいと思ったのかある日それを止めた。会費をケチったのか、独立してやっていけると思ったのかは知らんが、とにかくそれがホールディングスの逆鱗に触れた」
「……別にギャンブルにする必要はないだろう。〝結果〟が分かっているのだから」
「難しく考えなくてもいいんじゃないか。ほかのごろつき通しのケンカの賭け試合もあることだし。とにかく、俺はすっきりしたよ」素直に楽しもうぜ、兄弟。後藤は改めて席に座りなおした。巨躯が狭い席に沈み込む。そして付き人に売店でビールを買ってくるよう命じた。久末の付き人よりもガタイのいい逞しい男が、背中を丸めて小走りに売店へ向かう姿は何だか滑稽だった。
 能天気なものだな。
これはメッセージなんだ。と久末は思った。ホールディングスからのメッセージ。見せしめだ。ホールディングスに逆らうとどうなるか。そして、お前たちは今後どう我々と付き合うのか。
 反旗を翻した下部組織の制裁は、本来ならばこっちの仕事だ。俺たちが手を汚さないといけない案件。だが俺は今の今まで反逆者がいることなんて知らなかった。情報すら上がってこない。
 ホールディングスのヤツらのやり方は俺たちと違う。
 時に外国籍のエージェントを使う。ホールディングスが外国のマフィア組織が母体であるという噂はおそらく本当であろう。しかも、各国情報機関顔負けの情報収集能力をもって、日本を、世界を監視している。もしかしたら、いやおそらくホールディングスは世界を牛耳っている。その証拠に警察もマスコミを表立った行動をしていない。事を上手く運ぶには表社会の協力——それも反論を許さない強制的になもの——が不可欠だ。
久松は確信している。世界中のあちこちで同じようなことが、頻繁に起きているのだろう。
 昔は良かった。
 表社会も裏社会も、互いの領分を尊重し浸食することはなかった。だからこそ、困った時は互いに貸し借りができた。大企業の幹部や政治家先生に協力を頼んだり、彼らの頼み事に耳を傾けたりもした。持ちつ持たれつだ。コインの表と裏みたいに一体感があった。
 今は違う。もうコインの表は表であり、裏は裏である。
 今はただ、反社はホールディングスの集金マシーンだ。そして小間使い。いや——。
 奴隷だ。ホールディングスシステムの奴隷。これからは全ての存在が管理されることになるだろう。恐ろしいことだ。世界が溶けて、一つにまとまってきている。
「兄弟、何か賭けてみようぜ」
 後藤の付き人がビールを持ってくる。カップは一つ。
「バカ野郎。兄弟の分も買ってこないか」後藤は付き人を殴った。悪趣味のごつい指輪が、付き人の頬に食い込んで、付き人は苦悶の表情を押し殺し、しゃがみ込む。
「後藤の兄弟。別にいいんだ。俺は酒を控えている」なあ。久末は自分の護衛に同意を促す。
「そうか。すまないな。こいつ気が利かないもんで。元力士っていうのはダメだな。伝統だ。ヨコヅナだとかいっても実際は粗暴なデブじゃないか」
「兄弟。言い過ぎだぞ」お前が言うな。いざという時、お前の盾になる男だ。それにだ、こういうあぶれ者を引き取るのが極道の伝統、仕事ではなかったのか。
「いいじゃねえか、兄弟。それよりも賭けようぜ」
「……ホールディングスの手前、やらなければならないか」
「そういうことだ、兄弟」
「どうやるんだ?」
 後藤がタブレットペーパーをスクロールしてくれた。この手のものはどうも苦手だ。
「対戦カードの候補が映っている。グレーになっているのは候補だが、まだ確定していない。光っているカードが確定カードだが、途中で消えることもある。何らかの事情でな」
「事情?」
「よく分からんが、例えば対戦相手の片方が途中で死んだとか。二回戦目で戦う相手に出くわして何てな。カードに出ているヤツ等はホールディングスからの依頼で相手を始末するよう依頼を受けているそうだ」
「タイミングしだいで変わる、か」
「そうだ。係員みたいなやつがいて、賭けをコントロールするようにしているが、なにせ現実は生ものだからな」
「それで、次の試合は」
「これによると日下部っていうエージェントとさっきのガキ女、スマイルが戦うことになっている。舞台は何と警察署の予定」
「スマイルはさっきので分かったが、この日下部とかいう男は?」
「地元のエージェントらしい。俺たちの汚れ仕事も請け負っていたらしい。殺し、ヤクの運び屋……何でも屋だな」
「どっちが有利だ」名前の下にある数字はオッズだ。
「見ての通り。スマイルだ」
「確かに。こっちが安パイみたいだな」
「手堅く行こうぜ。兄弟。ホールディングスにはいつも上前刎ねられているんだ。こういう時ぐらい、小銭を稼ごうぜ」
 それもある。日下部という男の方がウチとなじみがあるみたいだが、ホールディングスの手前賭けるわけにはいかない。スマイルに賭ける事によって、ホールディングスへの従順と信頼を示すのだ。
「金はどうやって振り込むんだ?」
「俺のやり方を見てくれ」
 後藤のスマホをのぞき込み、支払い方法を学ぶ。
 支払いを終えて、後は結果を待つばかり。久松は周囲を見渡す。見覚えのある顔が並んでいる。同し山菱会系列の組の者だろう。挨拶にも来ない。皆一様にタブレットペーパーに記載された注意書き通り。おとなしく次の〝映画〟の上映を待っている。お行儀よく、狭い席に身体を任せていた。ホールディングスからの指示の方が大事なのだ。
 突如、場内の照明が薄くなった。どうやら始まるらしい。スクリーンに火が灯る。同時に、私語が収まり場内は静かになる。
スクリーンには映画は始まる際の禁止事項の説明、開演前アナウンスが流れている。通常の映画と同じものだ。上映中のおしゃべりはご遠慮ください。上映中の写真撮影。録画・録音機器の使用は厳禁です。前の席は蹴らないでください……。
 久松をはじめ、みんなおとなしくそれに従っている。
 久松は改めて確認することになった。
 あのガキ、いやホールディングスのエージェント。あいつらに歯向かえる気概を持ったヤツはウチにいるか? いや、いないだろう。
 極道は死んだのだ。去勢されたその牙はすでに差し歯だ。保険適用の偽セラミック。硬いものに噛みつけばどうなることやら。


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