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空飛ぶブッチャー アブドラ・ナグモ ~ナチュラル・ボーンプロレスラー

〇やばいぞ

 アブドラ・ナグモは自コーナーで困惑していた。
「おいおい、やばいぞ。もう6ラウンドが終わっちまった」
 うらめしそうに反対コーナーを眺める。イゴール・アウベス。元WJFヘビー級チャンピオン。〝元〟とは言え、三十路前の現役柔術家。
 3Rで転べ(負けろ)と言われたのになあ。
 ナグモはプロレスラー。プロレス対柔術。異種格闘技戦。この試合にはブック(台本)があった。

〇俺のせいなのか?

 マッチメーカーからナグモへの指示。3Rまでに一発パンチくらってKOか適当な関節技をもらってタップする。これはイゴールを売り出すための試合。メインイベントで派手に負けるミッション。つまり、相手に完敗するのが今回のナグモの仕事だ。真・国際プロレスの興行スケジュールの中でも重要な試合。今後、敵討ちと称して次世代のスター候補の若手レスラーをイゴールに絡ませる。そうすれば、興行シリーズの目玉となって客が呼べる。だが——。
最終ラウンドまで来ちまった。
だけど俺のせいじゃねえぞ。アイツが悪いんだ。

〇だから言っただろう!

 アイツは、なぜパンチを打たねえ? さりげなく俺は打ち易いように顔を向けているのに。胴体のガードをがら空きにしてもタックルで飛び込んでこない。あいつは本当に強いのか? 滅茶苦茶、下手くそだぞ。だから俺は言ったんだ。直接顔を合わせて打合せをしようって。そうすれば、お前の得意技をくらってやって、ガッツポーズ取らせてやるのによ。
 それなのにヤツは何と言ったと思う。ミューティングは不要だとよ。プロレスラーには目をつぶってでも勝てる、とさ。
 それがこの様だ。一時、客は盛り上がったが、今は固唾を飲んで見守っている。と言えば聞こえはいいが、実際はこのグダグダ展開に飽きている。何せ、アイツ何にもしないんだ。パンチも蹴りもタックルも仕掛けてこなくなった。クソ、おれが何とかするしかねえか。
 ナグモは、身体を旋回させバックブローを放つ。わざと外す。大ぶりなモーションの技のため、まさか当たるまい。お前はかわして、カウンターでパンチを打つか、俺を倒して首を絞めるなり、関節を決めるなり好きにすればいい。

〇あれ?

 当たっちゃった。クリーンヒット? おいおいそれぐらいかわせよ。それでも、踏ん張ってタックルを仕掛ける。いいぞ。そのまま決めてしまえ。
しかし、イゴールはナグモに組み付いたまま失神してしまった。ヤバイ。ナグモはそのままイゴールを倒すと、レフリーがカウントを取る前に、仰向けにひっくり返した。そして、そのままトップロープに上り、相手の肩口に向けてヘッドバッド。もちろん、反則だ。事前のルールによると、頭突きは禁止。ダイビングヘッドバッドはその範疇に入る。すかさず、ゴング。この試合、アブドラ・ナグモの反則負けに終わる。ついでにもうひとつ盛り上げてやるか。ナグモはリングの下に用意しておいたパイプ椅子でイゴールに殴りかかる、ふりをする。そしてタイミングを合わせて、誰かに止められるのを待つ。イゴールはレスラーじゃないからな。椅子で殴られる受け身ができねえ。そして隠し持っていた凶器のフォークを落とした。もちろん使わない。客に〝見せる〟だけだ。どよめく会場。ナグモは満足した。
 完璧とはいえないが、一応はリクエストに応えたつもりだ。

〇ダメだった。

 怒られた。マッチメイクを仕切るプロレスラー高杉竜郎に、モップの柄でしこたま殴られた。
「向こうが下手打ったんですよ。ちゃんと負けたからいいでしょう」必死に弁解するナグモ。「バカヤロウ。上は神崎を売り出したいんだよ」お前が目立ってどうする? 返す言葉もない。
「マイクアピールどうすんだよ」。そうだ。本来の目的は若手のホープ神崎正人をスターレスラーにする事なのだ。「ナグモの仇は俺が撃つ」とか言って。すでにイゴール側が転ぶ約束を取り付け、金も振り込んでいる。
「覚悟しとけよ。神崎はオーナーのお気に入りだからな」

〇プロフィール

 アブドラ・ナグモ。本名:南雲雄大。42歳。独身。身長184センチ、体重110キロ。あんこ型力士の体型。一見して肥満体に見えるが、身体能力は高く、バック転・空中殺法などそつなくこなす。学生時代は茶道部。スポーツ経験・ゼロ。高校卒業後、真・国際プロレスにテスト生として入門。レスラーとしての下地は入社してから作り上げた、ある意味逸材。ファイトスタイルは身体能力を活かした空中殺法を中心に試合を組み立てるが、グランドテクニックも難なくこなす。本人曰く〝見て覚えた〟。得意技はムーンサルト・プレス。会場人気はそこそこ高く、特に子供やお年寄りに人気がある。そのため、地方巡業ではかかせない一人である。リングネームはその風貌から昭和の名レスラー(アブドーラ・ザ・ブッチャー)にあやかったもの。キャッチコピーは空飛ぶブッチャー。当然、ヒール。

〇普通に……

「オメーの処分は後で申し付ける。それまで自宅待機」その日、謹慎を命じられとぼとぼと帰路につくナグモ。その際、変な外人数名に絡まれた。イゴールの取り巻き連中。制裁を含めた抗議のためだ。なだめようとするが、興奮して殴りかかってくる、やむなく応戦。プロレスラーらしく、プロレスの技で。相手を持ち上げるブレーンバスターやボディスラム、飛び技のフライング・ボディアタックで——美しいフォームだ——。通常それらの技は相手の協力(くらう事を前提とした受け身など)がなければ成立しないのにも関わらず。高い動体視力、フットワークも軽い。相手のパンチを簡単にかわして撃退した。ナグモはナチュラルに強い。度が過ぎるほどに。イゴールは決して弱くも下手くそでもなかった。ナグモが強すぎるのだ。ただその事に彼自身が気付いていないだけの話。

〇人気者で行こう。

 警察沙汰になった襲撃事件。手を出したのが、相手側なのでお咎めはなし。一安心もつかの間、その事件を録画、SNSにアップしたものがいた。一躍、彼は時の人になってしまう。そして各地のプロモーターから、彼を出せとの要望が。プロレスの興行は客を呼べるヤツが一番偉いのだ。メインイベンターとなったナグモ。当然オーナー一派は面白くない。特に神崎とそのオーナー、時田恵子は。歳の差50歳以上の愛人コンビはあの手、この手を使ってナグモを陥れようとする。イゴールたちもこのまま黙っているわけにはいかない。新たな刺客を用意した。太った中年プロレスラーを巡って、陰謀と裏切りが錯綜する。はたして、アブドラ・ナグモは今シーズン無事にメインイベントを務めることができるのか。

〇いい味出してる。

 実際のプロレス団体『レスリング・バトルズ』の全面協力の元、制作された本作。ナグモ役を演じたプロレスラー古林キイチは、特に役作りすることもなく楽しく演技ができたと語る。彼には面白いエピソードがある。ロケ先で寄った。92歳の老婆が経営するお好み焼き屋の味に感動し、その店にいた客全員の会計と自身の10年分の会計を払っていったらしい。その額、100万円ほど。絶滅危惧種、昭和のレスラーの香りがする選手である。




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