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【原作】#4 置かれた場所で咲く花は 第四章 監獄ロック


「で、おじさんなの? おじいちゃんなの?」

 K警察署、取調室。目の前の男はその軽薄な口調とは裏腹に、舐めまわすように日下部を品定めしている。日下部の容姿を揶揄しながら、こちらの反応を観察しているのだ。現行犯逮捕された日下部は、一市民に暴行を加えた凶悪犯。しかも動機が不明だ。精神疾患の可能性もある。慎重にかつ早急に事を進めるため仕掛けているのだろう。

「まだおじさんでいいんじゃないかな。来年になったら年金もらえるから……」
「その時は公明正大に〝おじいちゃん〟になるわけか」
「そんなところだね、でもさあ、刑事さん。あんたも良く分からない見た目してるぞ」

 膨らんだ下腹部、脂が浮いた頬にかかるもみあげに、白いものが少し交じっている。日下部よりも、先程手を加えた中年男性よりも少し年下。

「まあ、若くはねえが死ぬには早いさ」
「俺とは違ってな」
「長生きしてよ。幸せなおじいちゃん人生をまっとうしたいだろう」
 食えないヤツだな。と日下部は思った。そして君島もまた。
「もう眠たいよ。この辺でお開きにしないか。続きは明日と言う事で」
「もうちょっと我慢しようぜ」スマホが鳴る。君島のだ。日下部のものは当然取り上げられている。片手で操作し、もう片方の手は胸のホルスターを擦っている。

「喜べよ、〝おじいちゃん〟。あんたの容疑は殺人未遂に変わった」
「死んでないのか」
「そうだ。重体には変わらんがな」
「やっぱり俺は歳を取ったな。殺すつもりだったんだが」日下部は大げさに両手を広げた。
「よっぽど恨みでもあったのか。被害者との関係は?」
「今日初めて。名前も知らない」
「それで何でそんなひどい目にあわすの。あんたの罪は暴行、それも殺人未遂だよ。決して軽い罪ではない」
「酒癖の悪いパワハラ老害にお仕置きをするのが犯罪ならそうなのだろう。だが、俺の一番の罪は……」
「ぶっ殺せなかったことか? それなら目を抉る必要はないだろう。診断はまだ出ていないが、失明は確実だ」
「メッセージなんだよ」
「うん?」
「おれは組織の人間だ」
「ヤクザや半グレには見えないよ、〝おじさん〟」
「おれはホールディングスのエージェントだ」
「ほお……。おれは精神鑑定とやらの結果を待った方いいのかい?」
「待ってもいいけど。それよりもあんたはさっさと逃げた方がいい」
「何故だ?」
「俺は始末されるからさ。組織、ホールディングスに。巻き添えを食うぞ」
「ホールディングス? この世を裏から支配している組織のことか? 都市伝説だろう。色々こじらせた中坊が好きそうな陰謀話」
「多分それは情報操作の一部だぜ。世の中、信じられないようなことが実際に起きているんだ」
「弁護士は同席しなくてもいいのか。金が無いのなら、国選のヤツがいるが……。あんた貯金はいくらある?」
「何を言っている?」
「悪いことは言わない。有り金全部を弁護士にくれてやれ。そうじゃないと獄中で生涯を終えることになるぞ」
「もう無理だよ。俺は今日二人も殺している」
「おいおい」
「ババアとラーメンヤンキーを始末した。ホールディングスの依頼でな」
「そんな通報ないぞ」
「隠蔽工作だよ。いずれアレのヤマもうやむやになるぞ」
「アレ?」
「イキッたガキどもが処分されたお話さ。どっかのクラブハウスでの大量虐殺」クラブ『ビッチ・メンツ』でのエージェント・スマイルの介入。

「なぜそれを知っている?」そのために非番のおれまで駆り出されてここにいる。
「だから、おれがホールディングスのエージェントだって言っている。あんたたちも今忙しいだろう? 現場検証で。しかしな、大事件だが、いくら頑張ってもいずれ横やりが入る。上からの命令ってヤツさ。箝口令が引かれ、マスコミも口を閉ざす。せいぜい、対立する反社会的組織間の抗争で話がつく。あとは適当なストーリーを作って、逮捕されるキャラを作るだけ」
「最近、滅茶苦茶忙しいのは事実だがな……」普段なら、壁の向こう側のミラーから、君島の同僚が調書を取りながら監視している。普段なら。だが今日は人手不足だ。この男の言う通り……。

「だからと言って、俺は仕事をさぼるわけにはいかない。俺は公務員。善良な市民様の税金で食っているからな」
「そう? それじゃあ、お仕事始めようか」
「あんたは何かを待っているようだ。それにさっきメッセージと言ったな。それはどういう意味だ? 誰に対する伝言なんだ?」
「クラブで大暴れした同業者に対してだ。おれはここにいるよ、というメッセージ。ヤツの手口に少し寄せた」
「そのメッセージに何の意味がある?」
「俺もまた彼女のターゲットだ。おイタをしたガキどもと同じく」
「犯人のことを知っているのか?」
「ほとんど知らない。あの姉ちゃんのことを知ったのはついさっきだからな」
「何故、あんたは狙われている?」
「それが知りたい。だからここで迎え撃つ」

「つまり、あんたはわざと事件を起こして逮捕された、と」
「そういうことになる」
「ここがあの現場になるのか?」
「その確率は高い」
「俺たちにあんたを守らせるのか」
「あてにはしていない。だから刑事さん、あんたも逃げた方いい。凄腕だよ。専門的な訓練を受けた者だ。俺やあんたとはレベルが違う」
「そういう訳にもいかんよ。義務がある。それにあんたは他の事件の重要参考人の可能性が高い。応援を呼ぶ」
「そんな大げさなものでもないさ。ここで待っているよ」それに、と日下部は思った。

 待ち人は彼女だけではない。

「ここにサインをしてくれ」供述内容が間違っていないことを証明するために。
 日下部がサインしたタブレットペーパーを渡すと、再び手錠を掛けられた。

 移送か。
 だが、連れてこられた先は署の地下。留置場だ。
「とりあえずここに入っておけ」牢をロックする君島。
「鍵は開けといてもらわないと……」あいつが来るんだから。
「黙れ。例の話はすぐにしかるべき筋に必ず伝える。話の内容は例のクラブの一件と一部証言が重なるからな。少なくとも、エージェントとかいうヤツからは守ってやる」
「そりゃどうも」
「甘えるなよ。その後、聴収が待っているぞ。キツイやつになりそうだな。かわいそうに。もう弁護士は雇えないぞ」
「はいよ。だが、先客がいるみたいだぞ」
「仲良くな」
 君島は立ち去らなかった。
「いかないのか」
「見届けないといけないからな」

「おい。おっさん」

 牢屋の隅に男がいる。見たところ若い男だ。くすんだ茶髪に甘すぎる香りが漂う。安い香水だ。薄汚れたスカジャンのポケットに両手を突っ込んでいる。いつは、と日下部は思った。あのクラブの生き残りか?

「死ね」男はそう叫ぶと、両手で拳銃を構え、日下部の頭に狙いを定める。
 日下部はかがみこみながらワンステップ前へ。しゃくりあげる様に、手にしたタッチペンを男の咽喉に向けて、刺す。呼吸が止まり、男の動きが止まる。そのすきに後ろに回った日下部は、後頭部を鷲掴みにして、そのまま檻に叩きつけた。三回叩きつけると、茶髪がごっそりと抜けて手が離れる。男はまだ銃を握っている。だから、無理に取り上げようとはしなかった。銃口はこちらを向いていないし、暴発されると困る。だからそのまま後頭部にかかとをぶつけるように蹴りを入れる。股が開いた。そこを逃さず急所めがけて蹴り上げる。股間を押さえたままうずくまる男。銃の射線に気をつけて横にまわり、がら空きになった顔を蹴り上げる。男はひっくり返る。必然的に天井を見上げる顔を、床を打ち抜くように思い切り踏みつける。二発目を落とそうとすると、

「やめてくれ……。もう……いやだ……。助けてくれ……」

 男は銃を離して床に置いた。片手で顔を押さえ、もう片方は上げている。
「よく死ななかったな。褒めてやるよ」床に落ちた銃を拾い上げる。セミオートの9ミリ。スライドさせると、薬室に弾が装填されていない。素人だ。悪に憧れるルーキー?

「おいとどめを刺せ。賭けが成立しない」と君島。
「賭けだと」どういうことだ。ルーキーはいつの間にか泣き出している。「しかし何のため……」
「代替わりだ。組織は、ホールディングスは変わるのさ」
 方針が変わり、そしてそのための再編成……。
 ホールディングスにとって、日下部はもう必要ないと判断したのだ。彼の役割は他のもので代用できる、と。
 長年の組織の裏表を知る彼。その情報が外部に漏れたら。〝守秘義務〟の仁義は持っているだろうが、〝情報漏洩〟の危険性はある。生きている限り。

 組織は、日下部の最後の利用方法を思いついた。

 賭け試合。同じ事情を抱えた他の組織と手を組んで、ホールディングスは賭け試合を開催した。

 その対象は日下部と同じ古参か、組織にとって足手でまといになる者、例えばカタギにオラつくしか能のないチンピラどもの処分。これからの組織運営の邪魔になる者どうしで殺し合いをさせるのだ。組織のクリーンアップとついでに資金集め。

 ババアも、ザコヤクザも半グレのガキどもも、そしてこの俺も……。この世には必要ないというのが、ホールディングスの結論か。
「お前もまたホールディングスのエージェントなのか」

「結果的に。俺はいわゆる悪徳警官さ。悪党に捜査情報を流す代わりに、色々なものを」
「お土産にもらうと。で俺のオッズはどのくらいだ?」
「おい。そんなことより、早く始末つけろ。賭けが無効になっちまう」
「もう勝負とやらはついただろう。このガキはもう戦闘不能だ」銃も持っているし。
「対戦相手の死によって、勝敗がつく。お前が生き残ればオッズも変わる。正直、このガキの方がオッズが良かった。あんたは大穴だ」

「このガキは誰だ?」
「俺のSだ。ホールディングスに楯突くグループがある、という情報を手に入れてね。探りを入れたらこのガキが所属する仲良しクラブが何か企んでいるという噂を掻きつけてね」
「命の保証の代わりに、といったところか」
「ああそうだ。うちのエージェントが制裁を加えるからな、何かと理由をつけて、しょっ引いた。それにしても、あんた見かけと違いやるじゃないか。思いも知らないやり方で保護を求めるなんて。それにだ。あんた最初から何か感づいていたな」

「まあな。それにこのガキは素人だ、拳銃の扱い方に慣れていない。チャンバーに弾が入っていないこともわからずに正面から狙いをつけていた。俺の頭を狙ってな。こういう至近距離からだと、胴体みたいなデカイ的を狙って動きを止めてから仕留めるべきだ。それにだ、一番のマヌケはあんただぜ」
「俺が?」
「あんたに電話が来たとき、ホルスターさすったろ。服の上から見ると膨らみが小さい。持ってねえなと思ったよ。ガキに渡したな。それに調書にサインさせた時、俺がタッチペンを返さなかったのを咎めなかっただろう。うっかり忘れたフリをして」

「やるね。あんたを舐めていた」
「部屋にあんた一人しかいないというのも、おかしなものだ。通常はもう一人いる。忙しいのは理由にならない。規則だからな」
「コントロールし易いようにな。俺の裁量でそうできるよう、普段から根回しをしている」君島は指で輪を作る。この署内には鼻薬がたくさんありそうだ。
「おれはこのガキを殺さないぞ。その場合どうなるんだ?」
「牢のカギは俺が持っている。あんたは閉じ込められたままだ。そして他の刺客がここに来る」
「スマイルか」
「そうだ。あんたがデートに誘ったんだ。そのガキを始末すればカギを渡す」
 チンピラルーキー。嗚咽が一層ひどくなる。
「俺たちはどうすれば良かったんだよ。俺たちみたいなクズには、こんな所しか居場所がなかったのに。一体、俺たちはどこに行けば良かったんだよ」俺はただ仲間が欲しかっただけなんだ。一人じゃ寂しい。だから仲間が。下らない連中だが、あいつらと一緒にいて楽しかった。でももういない。みんな殺されちまった。俺みたいな外れ者はどう生きていけばいいんだ。

「知るか。そんなもの自分で処理しろ」日下部は冷たく言い放つ。「俺たちに興味があるヤツなんてこの世にいるものか。世間の皆さんは俺たちのことなんかいてもいなくてもどうでもいいんだ。自意識過剰なんだよ。てめえは

「その通り。だから殺そう。うるさいから殺そう」
「まあ、待て。お前さん、ホールディングスからの情報をどこから手に入れた? コッペリアからか? その型番は? そもそもどうやって賭けとやらの結果を胴元に伝えるんだ?」
「結果は電話で報告する」
「では掛け金はいつどこで清算する? 誰が得する? そもそもお前はホールディングスから信頼されているのか? お前のような悪徳警官の言葉を一体誰が信用するんだ?」
「何が言いたい?」
「俺には仮説がある。自身がプレイヤーとして直接参加しないギャンブルは映像があった方が盛り上がる。サッカーしかり、野球しかり。だがここにはドローンは浮いていないし、監視カメラの角度も悪い。迫力のある絵柄はとれないだろう。そしてなにより……」
 日下部は発砲する。檻の隙間から飛び出した弾丸は、君島の身体に深く食い込んだ。
「お前は見ず知らずの他人が銃を手にしたのに、警戒するそぶりさえ見せない」

 白煙を吹きながら君島が平然と立ち上がる。

「お前はアンドロイドだ。お前自身が〝この試合〟を撮影しているな」眼球、アイカメラを通して。
 君島の表情が引き締まる。先程までのうろんな態度が一変する。

「そう、そしてあんたのコッペリアでもある」


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