見出し画像

【短編】 誰も来ない洋服店

 その洋服店には、青色の服だけしか置いていない。
 以前から、近くを通るたびに青色の鮮やか看板が気になっていたが、中に入るまで洋服店だとは知らなかった。
「え、あ、お客さんですか? うちは、全く客が来ない店なので」
 店主の男性は少し慌てた表情でそう言いながら、店の奥へ引っ込んでしまった。
 置き去りにされた私はどうしようかと思いながら、店内の青い服を見ていると、数分後に店の奥からコーヒーをお盆に乗せた女性が現れた。
「すみません。夫は人見知りなものですから。でも素敵な服ばかりですので、ゆっくりご覧になって下さい」
 私は服を買うつもりは全くなかったが、コーヒーまで出されたら、そのまま帰るのも気まずい。
 それで、コーヒーを飲みながら店内の服を見渡していると、私はあることに気づいた。
「うちで売っている服は、青の染料を使わないのが特徴なんです」
 そう。この店の服は、染料のベタっとした色ではなく、どこか透き通った感じがするのだ。
「こんなことを言うと変に思われるかもしれませんが、ここにある服は、ぜんぶ青空を切り取って作りました」
 うーん?
「ほら、この服なんか、白く薄い雲が少しずつ動いているでしょ」
 まあ、そうですね。
「わたしの夫は、青空を切り取ることができるんです。初めはただ切り取った青空を部屋に飾ったりするだけでしたが、服を作るのが得意だったわたしが、何とかその青空を服に仕立てたものがこれなのです」
 ああ、それで結婚されて、この店を。
「でも夫は、せっかく作った青空の服を手放したくないから、できるだけ客が来ないような店にしてしまいました」
 店には青色の看板があるだけで、文字情報は一切ないから、普通は誰も店に入らないだろう。
「それでも店を訪れてくれたあなたは、変人というか……」
 まあ、変人は失礼ですけどね。
「すみません」
 でも私が気になったのは、青空を切り取っていったら、その青空は虫食いだらけになるんじゃないかということだ。
「青空を多少切り取っても、すぐに再生するから問題ないです」
 店の奥からいきなり店主の男が現れて、そう言った。
「でも、青空の服を大量生産するようになったら、再生力が追い付かなくなって、青空はいずれ失われるでしょう」
 何だか壮大な話になった。
「だから、この洋服店のことは誰にも言わないで下さい。今日の青空を切り取って作ったTシャツをあげますから」
 確かに、今日はいい天気だ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?