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「しにたい」と「痩せたい」は大体同じ。現代〝かまってちゃん〟考

多くの場合、皮肉を込めてつかわれる「かまってちゃん」という言葉。

かまってちゃんとは、いったいどんな人だろう。
かまってほしいと願うあまりに、人の気を引くようなことしか言えない。
気を引くための言葉はいつしか真実味をなくし、人との距離感がうまくはかれなくなる。
気がつくと周りに誰もいなくなって、ひとり踊っているさまは、まるで独り舞台のよう……。
しかしはたして、本当に「かまってほしい」がその言動の真意だろうか。


たとえば、かまってちゃんの典型例で「しにたい」と口に出す人がいる。
それが近しい人であった場合、あなたならいったいどうこたえるのが正解と考えるだろうか。

「そんなこと言ってはダメ」
「どうせ気を引きたいだけ」
「しにたいならいちいち口に出さずにさっさとしね」

いろいろな意見があるのだろう。
人にはそれぞれ価値観があるから、わたしはその考えを否定はしないし、「そう思うのはおかしい」とも言わない。
そもそも他人の考えを「それはおかしい」と否定する行為は傲慢であると思うし、誰も他人の価値観を否定する権利など持ち合わせてはいないと思う。

けれど、ちょっと待ってほしい。
そもそも「しにたい」というのは、「いまから首を吊ります」という宣言ではない。
ただの感情のゆらぎにすぎないし、軽く言えば「しにたい」と「会社に行きたくない」は似たようなものである。

ダイエット中に「痩せたい」と口に出す人を責める人がいるだろうか。
もしかすると、食べ物を前にして「痩せたい」と口にすることで、食欲をセーブしようと自己暗示をかけているだけにすぎないのかもしれない。

仕事で失敗をして「会社辞めたい」と口に出した人を責める人がいるだろうか。
もしかすると、「辞めたい」と口にすることで、辞めたあとのことを想像し、自身を奮い立たせているのかもしれない。

「しにたい」だって同じだ。

人の発散の手段はさまざまで、酒を飲んで日頃のうっぷんを晴らすひともいれば、わたしのようにこうして思いを吐いて流すことでどうにか立っていられる人間もいる。

「しにたい」と言う人のすべてが、しぬために「しにたい」と言っているわけではない。
むしろ、しんではいけないとわかっているからこそ、「しにたい」という感情の置き場所がないのだ。
そうして抱えきれなくなったとき、いつしか「しにたい」は「しんでしまおう」に変わるのかもしれない。
抱えきれなくなるぐらいなら、吐きだしてしまったほうがいい。

ひとくくりにするのはあまりに乱暴かもしれないが、「かまってちゃん」と揶揄される人の多くは、心の置き場所を求めているだけなのではないだろうか。
心のうちを吐きだしたい。できれば誰かに救ってほしい。うんと背伸びした自分を誰かに見せたい……。
かまってちゃんのかたちはさまざまで、たとえばネットに自撮りばかり載せている人だって、他人から評価されたいタイプのかまってちゃんなのだろう。
いずれも共通しているのは、どこか心が不安定だという点で、そういった心の不安定さは、ときに誰かを不快にさせるのかもしれない。
「かまってほしくてやっているんでしょう」と、指をさされることも少なくない。
「そういうの、痛いよ」だなんて、誹謗中傷のまとになることも。

けれどわたしはどうにも、かまってほしいと手を差し出す人よりも、自分と相容れないものを受け入れられないのに、誹謗中傷をしてかかわりにいく人のほうがよっぽど卑怯で、弱いのではないかと思う。
たとえば「しにたい」と言う人に、「しにたいならしねば」と嫌悪を露わにしながら関わり合いにいく人。
「痛いよね」とこっそり、陰口をたたくひと。

不快になるならば関わらなければいいのに、わざわざ触れにいって傷をつけようとする行為は、かまってちゃんよりもよほど加虐的でタチの悪い行為のように思える。
あなたが不愉快ですと訴えにいく行為に何の意味があるというのだろう。
そしてその多くは「親しくなりたいから」ゆえの情などではないのだ。嫌悪と中傷。嘲り。いずれも気持ちのいい感情ではないだろう。
そんな思いは抱えないほうがいい。

よく知らない、ましてどうでもいい相手が「かまってほしい」と手を広げていたとしても、まず関わりあいになどならないほうがいい。
ひとたび絡めば不快な思いをすることになるかもしれないし、それで陰口をたたいてしまえば、結果として自分を貶めてしまうことにもつながる。

けれどそれでもかまってちゃんに触れようというのなら、どうか適切な距離感でほうっておいてほしい。
かまってちゃんの真意はきっと、かまってちゃん本人にしかわからないのだから。


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最近、「かまってちゃん」だと嘲笑の対象になる機会が多くって、うんざりしているので書いてみました。
書いて吐きだすのはべつに特定の誰かに評価されるための行為ではないし、自分を奮い立たせるための自慰にすぎないわけです。
ほかのかまってちゃんを知らないけれど、かまってちゃんの8割ぐらいは自慰みたいなものなんじゃないかな。
そういうことをしたって誰の気も引けやしないって、わかっていながらやっているんだよ。
それでもそれを止めることができないのは、吐きだす手段を知らないから。

それから不快になるならば見なければいいのに、べったりと見ながら「あなたが不快です」って訴えてくる人、わたしはとてもこわいなって思うの。
だってそれって、勝手に自慰中のトイレを覗きこんでおいて「そんなもの見せるな!」って罵っているようなものじゃない?
かまってちゃんサイドが尻出して迫ってきたのなら話は別だけれど。
見たくないならほうっておいて、って。

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