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突如現れたもうひとやま(ピアノじまい⑫)

実家から戻った翌々日の朝。
夫のただならぬ雰囲気に起こされた。
風邪のような症状と熱っぽさを感じた夫が、早朝から動き始めていた。
検査の結果、やはり陽性だった。
濃厚接触者となった私も、その日のうちに頭痛、翌日の夜に発熱、その翌日に陽性判定が出た。

家の中を隔離生活仕様に整えると、自宅療養がいつ終わるのかが気になり始めた。
もしかしてピアノの搬出日に間に合わないのでは…

誰も住んでいない実家で放置状態。いつかはどうにかしなければいけないと頭のどこかでは思っていた。
実家の売却が決まって漸く、急かされるように動き始めた。

動きながら、考えながら、自ずと自分とピアノとのこれまでを振り返っていた。
私自身を形作るあまりにも多くのピースが、このピアノに紐づけられていることに改めて気付かされた。
このピアノを手放すことは、自分のこれまでを、自分とピアノとの思い出を、ピアノを連れてきてくれた家族との思い出を、一旦整理することでもあった。
だからどうしても、ピアノにちゃんとお別れを伝えて、新しい家族の元へ送り出したかった。
まさかこんなことでそれが危ぶまれるとは。
生きていると、自分の意思ではどうにもならない事にぶつかる事がままあるが、まさにそれだと思った。これもまた諦めるしかないのか。

感染者急増でパンク状態の保健所から連絡がきたのは数日後。ピアノの見送りができない時の覚悟はもう8割くらいはできていた。
夫には電話連絡が、私にはショートメールが届いた。夫と私で連絡方法が違ったのは、保健所の連絡方法が慌ただしく見直される前と後だったから。
現場は本当に大変な状況だったことだろう。

で。
ショートメールに示されていた自宅療養終了日は、ピアノ搬出の前日だった。
行ける。ほっとした。

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