「AV女優、のち」

 AV女優は引退後、どんな生活をしているか。
人によっては「そっとしておいてくれ」という答えが返ってきそうな話ではあるけれど、やはり気になる人は多いはず。

 人生においてたった数ヶ月、数年間という「AV女優」という仕事が、
その後の人生に影響を及ぼず大きさは、
誰が言わなくても当人たちが一番わかっていることだと思う。
 
 ライターでアダルトメディア研究家の安田理央氏が上梓した新刊「AV女優、のち」(角川新書)を読んだ。

みひろ、笠木忍、麻美ゆま、愛奏、長谷川瞳、泉麻耶、真咲南朋と一世を風靡した7人の「元」AV女優たちが
それぞれの過去を振り返り、これからどんな生き方をしていくのか、
彼女たちの等身大の言葉で語られたインタビューが収められている。

ヘアメイク、監督になった人、バーのママ、高級ソープ嬢、介護職…彼女たちの進路はさまざまだ。
そして人によっては騙されたような形でAV業界に入ったパターンもあるものの、
いずれも「AV女優になったことは後悔していない」という強い意志を感じさせる言葉が多く見受けられる。

世にある読み物には、
なにも考えない若さと美貌だけが取り柄のような女性が、
周囲に流されるがままにAVに出演したものの、やがて親にバレ、恋人にはフラれて、
就活しても仕事にもありつけず、
「こんなはずじゃなかった」と嘆くころには時すでに遅し。
ただただ人生を転がり落ちていく…という話も多くある。
確かにそういうストーリーの方が強烈だし、
中毒性があるし、世のニーズがある。
(ゲスな表現でいうと売れる)

また一方では、ネットなどで現役の女優たちが
「これも立派な職業です!」
「この仕事、プライド持ってやっています!」
「職業に貴賎なし」「AV女優に偏見を持つな!」
とその権利や主張を声高に発信して、炎上することもある。

相反する状況を目にするものの、
現実はそこまで悲惨でも、幸せでもなかったりするのでは…とも思うのだ。

「自分の過去のひとつとして、『そんなこともあったね』という感じ(中略)AV女優になったからこそ今のわたしがあると思っています」(薫桜子)「AVもタトゥーも、やっぱり偏見があるものなんですよ。それをわかった上でやってるんです」(泉麻那)

これらは、本書に登場する女優たちの言葉だ。
若いころの決断が生んだ十字架の予想外の重さに戸惑っていないと言うと嘘になるけれど、
だからといってそんな自分を後悔しない。
決して強がりでもない強さ、達観、ある種の「あきらめ」に近いものを感じた。

17年1月に発刊された拙著「うちの娘はAV女優です」は、
親公認のAV女優たちを取材したものだが
いずれも現役(インタビュー時)の女優さんばかりだったから、
「AVが天職です!」
「胸張ってAV女優やってます」
というテンション高めな言葉が見受けられた。

後悔しているなんて口が裂けても言いたくないし、
そんなこと言っちゃったら負けを認めたみたいだし、
それを言ったとしても、そもそも今さら後に引けないし。
そんな気持ちが多分に内蔵されている言葉だと思う。
圧倒的な熱量とパワーを感じながらも
ときに聞いているこちらがしんどくなる場面もあった。

ただ、本書「AV女優、のち」に出てくる女優たちは、
現役を退いているためなのだろうか。みな、極めて冷静だ。

礼賛もせず、卑下もせず、
自分の人生を力づくで肯定しようともしない。
どれも、安っぽい美談に成り下がっていない。

あんなこともあったな、
そして今は、新たなスタートを切っているだけ(麻美ゆまの言葉を借りるとリセットではなく、restart)…という
いい意味で「肩の力が抜けた」雰囲気が全編に漂っている。

ゴシップ要素や美女の不幸話は収められていないので
その手のバッドエンドを期待する向きの溜飲を下げる本ではない。
ただ、「世の中を変えたい!」「私たちが社会を変えていく!」
という主義主張を声高に叫び続けないとならないような、見えないなにかに常に挑み続けることが漫然と課される、いまの空気感に
ほんの少し疲弊した今のわたしにとっては、
AV業界を30年以上見続けてきた安田氏のフラットな筆致と、
自分の人生の折り合いをつけた女性たちの肩の力の抜けた独特のニュアンスは非常に心地の良いものだった。

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