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初夏、そしてオシャレ更年期

着たい服が、ない。

クローゼットには、
入りきらないほどの服や靴、バッグがあるのに
どれもこれも気に入らない。
ときめかない。
ワクワクしない。
そしてテンションが上がらない。
ないないづくしである。

たった数年前にそこそこの大枚をはたいて買ったはずの
ALEXANDER WANGのワンピや
大好きなmameのトップスを着ても、
なんだかいまいちイケてない。
(ギャルソンで買った丸首Tシャツなんて
運動会に参加した保護者みたいになるので
いつか「地味ハロウィン」に着ていきたいほど)

イケてないといっても
どのアイテムも
それ自体は超絶ダサいわけでもないはず。
少なくてもメルカリなら10分の1ぐらいの価格では売れるかな。
なのに、ひとたび自分とそれらが肌を合わせると
自分の体型や肌のくすみが目立ってしまい
どこまでも居心地の悪さを感じてしまうのだ。
おブス認定未満かもしれないけれど、
ぬぐいきれない違和感やモヤモヤ感が募ってくる。
そしてこれを放置するとなんだか
ひとりの人間としてのファッションセンスが錆びて
非常にマズい事態に陥りそうな気がするのは
大げさなのだろうか。

もちろん、
「こんな服をおばさんだから着たらダメ」
とか「ミニスカートはイタい」とか
「中年が派手な色を着てはずかしい!」
とか世間体の話じゃない。
好きなものを好きなように着たいのに、
そもそも好きな服がクローゼットから見つからないのだ。
「自分がしっくりくる服」
「“この服を着た自分が好き”と自分が納得できる服」
が見当たらないのだ。

好きなものも
似合うものも
ぼやけてしまっている。

ああ、これが「40代おしゃれの壁」もしくは
「おしゃれ更年期」というものか。

といっても溢れ出す物欲は健在だ。

打開策としてひとまず私が手に取ったのは
マディソンブルーの白いシャツだった。

マディソンブルーは「正直、まだそこまで落ち着きたくないんだよなあ〜」というブランドだった。
というのも、
私個人が基本的にアダルトビデオやら仮想通貨やら
なにかと人の欲を(ときにおもしろおかしく)扱うメディアでモノを書いているし、
昼の似合う女より、夜の女のほうが憧れるたちなので
憧れとか嫉妬を抱くというよりは
「ああ、自分とは別の世界のスッキリとした世界だな」と思う優等生的な立ち位置のものだった。

でもまあうまくできてるよね、マディソンブルー。
肌に馴染むライン、にも関わらず
シャツの中で体が適度に泳ぐのできになるラインを強調しない
ハリのある素材感といい、着心地の良さ、コーディネートを選ばない汎用性、
それでいて3万円台というリアルプライス(安くはないけど、驚くほどの値段でもない)。

お仕事でも着ました。

とはいえ、まだすこし爽やかすぎるかな、私には。
少し毒っ気があったり、禍々しいもの、
甘やかなビッチ感を匂わせるものに心は未練を感じるものの
現実的には少しずつ、昼の格好がしっくりくるようになってきているのかも。
生き方もしかり…でしょうか。

(5年ぐらい前。うん…派手だったな……)

人生の過渡期の超絶あいまいで、
あやふやなものを、ひそやかにとどめておければと思う。

「裸は一番のオシャレ」by YOKO FUCHIGAMI


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